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初夏

ベランダから見る木に濃い桃色の花が咲いた。やがて花は落ち初々しい薄萌黄の葉が輝き、骨太の常盤色になる。聞くと、その木の名前は、“花周防”というそうである。別名を蘇木といい、花言葉には毒があるものの、痛みの緩和、緊張した心を解きほぐすような効果もあるそうである。 夏の樹は鮮やかである。向夏の澄んだ空に映えて、生命力の勢いがある。毎年の景色だが、その美しさには目を見張るものがある。 当社のサロンには、先代の社長が描いた何枚かの風景画が飾ってある。何枚かの緑と降り注ぐ光の反射、勢いのある水流が、見る側の心に響いてくる。 そのなかでで明らかに画風の違うものが1枚ある。真ん中を直な道が描かれ、空には玉子色の太陽が、道の脇には鶸萌黄と淡萌黄が入り混じった緑の合い間を濃い桃の花が占めている。一見水彩のように見えるそれは、一番最初に描いたものだそうである。 社長はあらゆる面で尊大だったが、大きな心と繊細な配慮を持った人だった。社会人のスタートは、経理職のサラリーマンだったそうである。2年ほど勤めて一念発起し、税理士を目指した。やっと試験合格しても仕事は全くなく、小さな商店を中心に、各自に合わせた“簡単な経理”を工夫し、着実にファンを増やした。顧客が増えると法人化し、必要に応じて都度都度組織を立ち上げた。 社長は、感情をあらわにする人ではあったが、トラブル対処を相談する時だけは怒らなかった。静かにごくあたりまえのことを私に諭す。「今はそんな一般論を知りたいわけじゃない」、「そんな回答じゃ解決に繋がらない」と、苛立ただしい気持ちを持ちつつも、教えの通りに従えば、不思議とすべてといっていいほど問題は解消された。 新体制になって1年が経過した。1年はあっという間と言いたいところだが、そうも言えない感じである。 今日もぼんやりと、屋根に斜めにかかる樹を眺める。樹は苗木から大きくなり、苗木の前は、親となる樹からこぼれた種子だったはずである。心や技術は、俄かに仕上がるものではない。努力の上に成長がある。成長は、一定度の時間が絶対的に必要である。過ごす時間の量と質、それから、起こったことを素直に吸収できる根も必要だ。現状に満足できず焦って背伸びをしても、自らをひずませるだけである。 仕上がり像はある。努力なら精いっぱいしよう。過ぎた日々に感謝をし、目の前の毎日を大切に過ごして