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Transactional Analysis 交流分析

性格なんて簡単には変わらない。 しかし、一人では生きていけないわけだから、当然他者とのかかわりが発生する。適応していかないと自分自身が生き辛い。なので、性格だの価値観だのはひとまず横に置いて、他者たちとのかかわりを優先して考えることも少なくない。 交流分析は、比較的安易な方法で、自らのコミュニケーションを可視化できる心理学だ。 「キャラクター(character)」とか「パーソナリティ(personality)」といった言葉がある。パーソナリティ(personality)のlityを取ってみていただきたい。イタリア語読みすれば「ペルソナ」。社会役割の場では、仮面をかぶることでそこそこうまくやっていけるのではないかというのが、私の持論だ。 “自分らしさ”などと言ってみても、戸惑いの海に放り込まれることも多い。そんな場合は、ペルソナ仮面に判断をお願いしてしまえば良いのだ。 交流分析の到達点は、“自分を知ること”、““今ここ”の感情を大切にすること“、自律的に、アサーショナルに”気づき、親和性を目指すこと“の3つである。 では具体的になにを学ぶか?自分のコミュニケーション傾向を知る、負荷がかかった時に持ちがちな感情を知る、意識化することでセルフコントロールする方法を学ぶのである。「他者は変えられない、変えられるのは自分と未来」。そう言われると、ちょっとお説教の匂いを感じるのは、私が未熟者である証明かもしれない。 コミュニケーションは、“やりとり”だ。誰かに発信することが“やり”の部分、それを受け取ることが“とり”だ。しかし、身の回りで行われているのは、“やり”の応酬だったりする。主張の繰り返し。なにかを伝えられて、受け取る間もなく自己主張を発信する。最初の発信者も、相手の“とり”をきちっと受容しないまま、再びの“やり”を発信する。 もうちょっと、大げさに、突き詰めていってしまえば、自己主張のラリーの応酬だったりする。お互いに余裕がない。 交流分析では、コミュニケーション自体を“ストローク”と呼ぶ。テニスとかで相互に球を打つイメージだ。 ストロークには、受け取ると心地良いプラスのストロークと、嫌な気分になるマイナスのストロークがある。ストロークは、人間が生きるために必要な心の栄養である。ストロークが足りないと、人間は心身の健康を保つことができ