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投稿

new year

新年である。
オリンピックイヤーである。経済効果も見込める。ほぼたくさんの日本人が期待する年なんである。
社員みんなで初詣に行く。お宮は改装工事中で天井がない。宮司に促され見上げれば、立派な梁である。江戸時代の松の大木だそうである。壁のすきまからは、外の陽が透けて眩しい限りである。かしこまって、奉上される祝詞に新年の願いを込める。良い年になりますように。

境内を散策する。さっぱりと葉を落とした木々の凛々しさ。陽に映える噴水の飛沫が美しい。仲良しになったオウムから挨拶を受ける。“おはよう”、“またね”。このオウム氏は、3つの言葉を話すのである。先の2つの言葉の他に、“ばいばい”、時折“あん?”などと不機嫌な感情をぶつけられることもある。オウム氏に新しい言葉を覚えてもらおうと頑張っているのだが、なかなか成果は出ない。“おはよう”をオウム氏に習得させた見えない誰かに尊敬の念を禁じ得ない。


“子”は、種子の中に新しい生命がきざし始める状態。亥の「植物の生命力がその内に閉じ込められている状態」と、丑の「芽が種子の中に生じてまだ伸びることができない状態」の間である。
十干は庚、庚子の関係でいうと、相手を強める影響をもたらす相生、それぞれが相互に影響をもたらし合う年のようである。「変化が生まれる状態、新たな生命がきざし始める状態。全く新しいことにチャレンジするのに適した年と言える」ようである。

明るい年になると良いなあ。ひまわりのように、いつでも明るい方向を見上げられるような。手に持った努力のボールを最後まで手放さす、形にできるような。辛いときには、そのボールで自分を温めることができるような。
神主さんから、きらびやかな熊手をいただいた。少し小さめだ。空気は冷たいが、陽射しが暖かい。良い1年にできますように。
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deep woods

「質問」というワードにはまっている。
購入した書籍は5冊。「質問」という短い単語で、みな1冊の本ができるほど展開するのである。目からうろこなのである。

日本人は、質問に対して、問われたことに正確に答えなければという習性があるらしい。しかし、世界的に言うと、意図のある「問いかけ」が尊重されるらしい。ふーん、なるほど。日本的のQ&Aを振り返ってみると、まず、「自分が何を問われているか」考えて、相手の求めているAを自分の脳みそから導き出そうとする。「正解」という答えが、問われたQに対する答える「誠意」だと評価されがちである。


しかしである。ミスをしてしまった際、問われたことに誠実に応えているつもりでも、「言い訳するな」などと、さらなる叱責を浴びてしまうことも多い。質問に対して、誠実に応えているつもりでも、相手には「申し開き」に捉えられてしまうからである。私のまわりには困った人もいる。こちらが聞いていることに答えてくれないのだ。聞いているこちらが、「あれ?なにを聞いたんだっけ?」と聞き返してしまう気持ちになる。
自分はどうだ?聞かれている機会を都合よく解釈し、自分の言いたいことを展開してしまったり、後ろめたい気持ちがあって、申し開きの機会にしてしまったり。あれれ?私も「困った人」代表だった。

欧米式では、質問の評価がちょっと違ってくる。価値のあるのは、相手に内省を呼びかけ、気づきを与える質問だ。自分や環境を検討して、広げ、高めて挑戦の種を心に埋め込む質問だ。有名な「フェルマーの最終定理」のフェルマーは、17世紀のフランス人である。1994年にワイルズさんがこれを証明したものの、有名なのは質問を投げかけたフェルマーさんなのである。

質問には、2つの種類がある。
比較的応えやすいので話の最初に用いられやすいクローズドクエスチョン、多くの情報を得ることができるものの、問われた人が考えざるを得ないオープンクエスチョンである。
谷川俊太郎氏の質問が面白い。詩人である彼の質問は、感性のカタマリである。突拍子がない。黒柳徹子女史の質問もなかなか突拍子もないが、その質問によって、問われた人は本質を見せてくれる。きらーんと輝いて、その人を支える哲学をチラ見させてくれる。興味深い。尊い。
なにかを変えるためには、効果のある問いかけをしたい。もやもやする状況を自分でなんとかするためにも…

神秘と勇気

先日、バス旅行なるものに参加した。何の予定も立てていなくて、食事を済ませた私たちは、横浜の中華街で時間を持て余した。
初タピオカを経験した。ストローを浮かせて、上澄みのミルクティだけすする。おどおどとすする私を、友人が注視する。だって、どう見たってカエルの卵だ。胃の中で孵化したカエルがぴょんぴょん跳ねる様が目に浮かぶ。やだな、決意して安くない金額を払ったのに勇気が出ない。黒い粒がストローに入ってくると、そっと吸うのをやめる。体に入れるのにどうしても抵抗がある。結果、底にはタピオカだけが残る。グロテスクだ。気弱な私は、ますます抵抗が強くなる。「飲みなよ」、友人の視線が強くなる。今日の彼女はなんだか意地悪だ。

時間を消費するため手相占いに立ち寄る。左手と右手では、手相の意味が違うそうである。
「体力、落ちてきてますねー」占い師さんは率直だ。はい、年をとりました。日々衰えを感じています。
「生命線すごいですね。なかなか死ねませんよ。大きな事故に遭っても1人生き残るタイプです。助けが来なければ、長く苦しみます」え、そんなの嫌だ。
「優しい人ですね。しかし、口が悪いので、その優しさは周囲に気づかれにくいでしょう」ほっといてほしい。
「才能と成功運をお持ちですね。すごい力があなたにはあります。しかし、表面に出にくいので、気づかれにくいでしょう。でもそうなるとないのに等しいんですよ」なんだ?結局だめなんじゃないか。隣で友人が腹を抱えて笑っている。

占い師は私に最後通達をする。「最後に聞いてみたいと思うことを言ってください」。え?恐れ多いくらい抽象的。なのに「最後の」なんてつくもんだから、脳内で、コスパスイッチが勢いよく押される。貧乏根性の合理主義が猛烈に活性化しはじめる。考えあぐねた末に飛び出した質問にびっくりした。思いもよらないとんでもない質問だったのだ。

占い師は、一般論の王様のようなものを持ち出した。しかし、なんだろう、それを聞いたら、すっきりとクリアな気持ちになった。
なんとなく気にしていたことが表面化された。目を向けたくなかった。わざわざ考えたくなかった。そんなあれやこれやを集約した問いが、心からぽろっと転げ落ちた。自分から全部脱いで、さっぱりと丸裸になってしまった気分だ。あとは、お風呂に飛び込むだけ。ざぶーん。心の中の風通しが良いぞ。なんかすごいぞ。ほんとびっくり…

隠者たち

エゴンシーレの絵が東京に来ている。「ウィーン・モダン ―クリムト、シーレ 世紀末への道―」の展覧会である。
シーレに出会ったときの衝撃ったらなかった。グロテスクな色遣いで、「生きる」核を容赦なくぶつけてくる。定まれず、暴れだし、やがて捩れだす激情の渦。濁流の渦に吸い込まれたい情動に駆り立てられる。
クリムトの描いた構図と似ているものがある。しかし、訴えてくるものは真逆だ。
私は絵には詳しくない。クリムトが、優美さを表現しているのに対して、シーレは、「これでもか」と、装飾という装飾を削り落とす。全部引っぺがした歪で大きなむき出した本性に容赦なく殴打されている気分になる。

シーレは15歳の時、梅毒で父を亡くしている。そのあと叔父に育てられ、16歳でウィーン工芸アカデミーに入学後、ウィーン美術アカデミーへ進学した。しかし、アカデミーの形式主義は彼に合わなかった。反発と嫌気の真っただ中、彼は、ゴッホの自由で生き生きとした作風に出会う。創作意欲に駆られたシーレは、制約された世界から解放され、自由な創作を繰り広げた。師事したクリムトは、シーレの才能を認めて可愛がっていたとされている。
第一次世界大戦で徴兵され、捕虜収容所の看守を務めたシーレには逮捕歴がある。住んでいるところでも住民に嫌われ、いられなくなり逃れている。社会性はほぼない。まもなく、ウィーンではスペイン風邪が流行し、罹患した妊娠中の妻が死去、その3日後に、妻と同じ病で28歳の生涯を閉じた。

過酷な環境も絶望も、彼を打ちのめしたりしない。
彼は、自分以外を優先事項として認めない。譲れないものを絶対に手放さない。自らの感性と表現をがっしりと抱き、なにものにも跪いたりしなかった。

私がシーレに出会ったのは、社会人となってまもなくである。
社会性がなく、順応性に乏しく、そして生意気だった。人間関係の確立が一番の苦痛だった。同僚や先輩たちを尻目に、根もなく、水面に浮いているだけのような自分の頼りなさを憂い、心許なさと、批判の感情と、羨ましさに支配された。小っぽけな心は葛藤ばかり。卑屈がコイルのように捻じれ、しまいに自分の感情さえわからなくなっていた。


シーレの大きな絵は私を釘付けにした。近くで見ると、足元には赤い汚れがあり、離れて眺めると、汚れは黒の中で顔をあげている一輪の花だった。踏みつけられたらあっという間の限りなく無防…

半夏生

半夏生の名前を聞いたのは3年前である。隣りに座った風流な古老から聞いたのだ。花は小さく、葉が印象的だという。緑から白へ、全部の色を変えるわけではなく、半分だけを白に変える。花が終わるとまた葉は緑に色を変えるという。その花のさまを丸く切り取る窓が京都にあり、とても雅だと。そんなに惹かれる美しさとはどのようなものだろう。それ以来、半夏生を探してみるものの、いまだ見つけるに至らない。
半夏生を見つけていく中で、白く葉先を変えてすっくと立つ植物を見つけた。名前をヤマボウシという。そっと雪をかぶったような美しい植物である。このヤマボウシは自分の名をきっと知らない。知らないだろうけれども美しい。自分が愛でられ、賞賛される存在であることを、このヤマボウシは知っているだろうか。

幼い頃、大きな花図鑑を持っていて、暇さえあれば眺め、時間つぶしをしたものだ。かわいらしい響きのする名前をたくさん持っている花が、特にお気に入りだったと記憶している。私は、自分の名にコンプレックスがある。凝った名でも、難しい字を使っているわけではないのだが、誰も私の名を一度で正しく呼ぶ人はいない。名を知られないというのは、それはそれでなかなかにわくわくする。匿名的でありながら、存在だけが認められる。なんだか蠱惑の香りがするではないか。
半夏生を調べてみると、「毒が降る」というキーワードが出てきた。どうやら「夏越し大祓」に関連するものらしい。名前というのは、気にかけているだけで、しゅるしゅると触手を伸ばし、知っている言葉とつながっていく。昔から、目の前をよぎるもの、聞きかじった響きの良い言葉について、とても興味を持ってきた。川の名前、山の名前、名の由来、出会う方々の持つ名と、その名が発しているメッセージを。


3年ほど前に出会った古老は、名乗った私を「多様」と「変容」という言葉をつかって蛍袋に例えた。その時は、その意図がわからず、強情な性格をやんわりと咎められたのかと感じたものだ。
あれから私は変容しただろうか。これからも、まだまだ変わっていけるのだろうか。必要に応じて、段階に応じて。言い換えれば、変容とは環境による受動性なのかもしれない。

最近、神社でつけられた自分の名の由来を知る機会があった。考えてみれば、生まれてこの方、この名前と生きてきた。親しい人はこれからもこの名で、私を呼ぶのだろう。
時折、自分の生…

約束の時間まで空きができたので、以前から気になっていた場所に足を延ばすことにした。目的地は駅から6分のはずなのだが、もう32分経過している。完全な迷子である。地図アプリは行き先や目印を的確に示してくれている。自分の所在位置がまるで不明なのである。

目指す場所は緑が多いはず。そんな遠い距離ではない。緑の目立つ場所をアバウトに目指したものの、たどり着いた場所は公園で呆然とする。広々とした敷地に萌えたつ深翠、池もある。ここでのんびりする手もあるのだが、ここまで来てしまうと、もう戻る駅の場所さえわからない。おまけになかなかの雨降りである。仕方ない。聞くは一時の恥。助けを求めることに決めた。

激しめの翠雨。公園には人がまばら。地理を聞くなら、地元地理に詳しい人ときょろきょろしていたら、目の前に端正な異国の方が立派な犬とともに散歩をしている。端正異国氏を仮ジェームズと名付け、思い切って道を尋ねてみた。彼は流麗な日本語で、「ごめんなさい、日本語がわかりません」と謝る。「でも英語でなら答えられます、英語で質問してもらえませんか?」今度はこちらが「ごめんなさい、英語がわかりません」なのである。足を止めてしまったことを詫びて、再び路頭に迷う。
樹の葉から垂れる雫を眺めながら、途方に暮れた感をかみしめる。視界に入った1人のサラリーマンに声をかける。昼休み中を利用して散歩しているのだそう。道を尋ねれば、移動するのに10分あまりだという場所に一緒に足を延ばしてくださると言う。道すがらのサラリーマン紳士は、時世の情報を絡めた観光案内までしてくださる。こちらもお上りさん気分を満喫する。
目的地までは15分ほどかかった。サラリーマン紳士は駅までの道も教えてくれた。雨のなか、限られた時間を道案内に割いてくださったことに頭が下がる。道々、気遣ってくださったことにも。

音も立てずたくさんの水滴を落とす雨は、たしか驟雨と言ったか。曇天の空から惜しみなく降りしきる。今日は名前も知らない方の思いやりに出会った。雨のなか足を止めて、答えてくださろうとした方にも出会えた。 メディアは殺伐としたニュースで賑わっている。でも、1時間弱の時間軸で傘の下、さりげなく、とてもあたたかなストロークが行き交った。しとしとと雨は降り続ける。柳緑は映える。歩き回った私の靴はびしょびしょで、約束の時間までにはまだ少し時間がある。不…

初夏

ベランダから見る木に濃い桃色の花が咲いた。やがて花は落ち初々しい薄萌黄の葉が輝き、骨太の常盤色になる。聞くと、その木の名前は、“花周防”というそうである。別名を蘇木といい、花言葉には毒があるものの、痛みの緩和、緊張した心を解きほぐすような効果もあるそうである。
夏の樹は鮮やかである。向夏の澄んだ空に映えて、生命力の勢いがある。毎年の景色だが、その美しさには目を見張るものがある。

当社のサロンには、先代の社長が描いた何枚かの風景画が飾ってある。何枚かの緑と降り注ぐ光の反射、勢いのある水流が、見る側の心に響いてくる。
そのなかでで明らかに画風の違うものが1枚ある。真ん中を直な道が描かれ、空には玉子色の太陽が、道の脇には鶸萌黄と淡萌黄が入り混じった緑の合い間を濃い桃の花が占めている。一見水彩のように見えるそれは、一番最初に描いたものだそうである。

社長はあらゆる面で尊大だったが、大きな心と繊細な配慮を持った人だった。社会人のスタートは、経理職のサラリーマンだったそうである。2年ほど勤めて一念発起し、税理士を目指した。やっと試験合格しても仕事は全くなく、小さな商店を中心に、各自に合わせた“簡単な経理”を工夫し、着実にファンを増やした。顧客が増えると法人化し、必要に応じて都度都度組織を立ち上げた。
社長は、感情をあらわにする人ではあったが、トラブル対処を相談する時だけは怒らなかった。静かにごくあたりまえのことを私に諭す。「今はそんな一般論を知りたいわけじゃない」、「そんな回答じゃ解決に繋がらない」と、苛立ただしい気持ちを持ちつつも、教えの通りに従えば、不思議とすべてといっていいほど問題は解消された。

新体制になって1年が経過した。1年はあっという間と言いたいところだが、そうも言えない感じである。
今日もぼんやりと、屋根に斜めにかかる樹を眺める。樹は苗木から大きくなり、苗木の前は、親となる樹からこぼれた種子だったはずである。心や技術は、俄かに仕上がるものではない。努力の上に成長がある。成長は、一定度の時間が絶対的に必要である。過ごす時間の量と質、それから、起こったことを素直に吸収できる根も必要だ。現状に満足できず焦って背伸びをしても、自らをひずませるだけである。
仕上がり像はある。努力なら精いっぱいしよう。過ぎた日々に感謝をし、目の前の毎日を大切に過ごしていこう。
眼下には、…