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山の宿(一切の鳴り物を禁ず)

久々に遠出をした。山の上の温泉宿である。 昼食はドライブスルーで買ったマック。コロナ禍での自粛時期、後ろめたさを抱えてのんびりと4号線を北上する。 客室10部屋に対して7つの風呂、なので他客と顔を合わせることはほとんどない。ないと言えば部屋には冷蔵庫もエアコンもない。周辺にはコンビニどころか、店も自動販売機すらない。この宿の素晴らしいところは、大型連休だろうが正月だろうが、割増がなされないことだ。 硫黄で真っ黒になった小さなお社と、輝くばかりの多様な新緑に歓迎される。白濁の源泉と、気配りとルビを振りたくなるような女将が評判である。鈴が気持ちよく転っていくかのような声、「また来られて幸せ」と心から思わせてくれる、まるで昨日の続きみたいな親しさ。 この温泉地には、昔から「鳴り物を一切禁ず」というしきたりがあった。湧泉に誇りを持ち、宿での遊行は厳しく制限されてきた歴史を持つ。「大地の恵みである源泉と、山麓の精気が魂のご馳走」と。 ここの魅力は、来る方すべてに気持ちよく過ごしてもらおうという理念。痒いところに手が届く。こちらの要望を見越しての配慮。馴れ合うことなく、お互いの品格と秩序を保持しあおうとする心づもりが、自ずとこちらにも生まれてくる。流石だなあ。 ロビーにある書棚から、下界にいたら決して読まない小難しそうな書物を持ち込んで隠遁する。万葉集を読み解くための萌黄色だかの解釈がある。どっちも黄緑だか蒼っぽい緑だかと思っていたが、陶芸の世界では幅広い色を表すらしく、黄色から草色、朱色、はたまた枯れ木の色までこの名がつけられているそうな。「総じて萌黄色は山の色」などとまとめられてしまえば、昔は時の移り変わりさえも含んで、神羅万象に名付けていたのかと驚かされる。 内風呂の窓を開けると、硫黄で真っ黒になった昔からのお墓の群れが見渡せる。はじめて来たときは怖かったけれど、最近では、この湯とこの地をともに愛する共通項をもって、墓石群に親しみさえ感じる。窓から見える景観に声をかけ、お湯をすくって感謝を伝える。 涼みがてら露天風呂まで散策する。仲良くなった新緑たちの名前を知りたくて“picture this”なるアプリの力を借りる。男羊歯、舞鶴草、この枝は紫陽花。この葉の持ち主はヌマミズキ。湿った倒木の上を埋め尽くしているハナゴケを発見する。 女将の