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水無月

6月、水無月である。 美しい名である。なんたって幻想的なんである。 しかし、雨の多い6月に、水のない月とは。陽暦と陰暦とか、月のずれで考えてみても、梅雨明けが7月であることや、8月の夕立の多さなど考えると、なんとなくぴんと来ない。 早速グーグル君に聞いてみる。 水無月の「無(な)」は、現代の「の」にあたる連体助詞だそうで、水が「無い」わけではなく「水の月」という意味なのだという説を紹介してくれた。 そういえば「無」が入っている和風月名がもうイッコある。11月、神無月。さっきの由来をあてはめると、「神の月」だ。よく謂われる「神様たちが出雲に集合しまって不在になる月」というのは、どうやら平安時代あたりで後付けされ説らしいぜっと、グーグル君は、ちょっと得意げに物知り顔で教えてくれる。 6月はひっそりと夏を迎えていてて、入梅の季節でもある。雷を表す「鳴神月」とか、「蟬羽月」、「風待月」、「季夏」なんて、蠱惑的な名前がたくさんあるようだ。 さてもさても、しかししかし、個人的には楽しい要素もワクワクも、ちょいと少なめの6月である。祭日はないし、記念日も虫歯の日(6月4日)とか、時の記念日(6月10日)とか、歯医者は苦手で、時に追われている身だからか、後ろめたいようななんとなくの説教臭さを感じとってしまう。 薄曇りや雨降りの日も増えてくるから、ネットが繋がりにくいし(専門家からそんなことないと反論されるけど)、接続待つのにウツウツしてしまう。身に着けている衣服は、生乾き臭がしているようで憂鬱だし、なにより、じとじともやもやの湿気を払拭できないのが鬱陶しい。 ぐちぐち言わずに名の美しさに着目しよう。なんたって、私たちにとって水は神様のようなものである。植物を育て、万物を生かし続ける。流水は汚れを清めてくれるし、なにより指先に触れているだけで気持ち良い。健康には衛生的な水が不可欠だ。 水がなければ生きていけない。そもそも私たちの体は約60%の水分を含んでいる。水は生き様そのものと考えることもできる。堰き止めてれば溢れてしまうし、動かなければ澱んでしまう。 そうそう、6月6日は芒種だそうだ。窓から見える田んぼも、いつのまにか水田になって、陽に映えて水面もキラキラと、苗代から越してきたばかりの小さな苗も緑に輝いている。例年活躍している水田パトロールのカルガモ