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河津桜

河津桜を見に行った。駅は人であふれかえっている。
葉桜である。桜といえばソメイヨシノの薄桃色。河津桜のぼってりと濃いピンクは、桜というより桃の花の色に近い。特に葉桜とのグラデーションは、見慣れていたものとだいぶ印象が違う。葉桜の頭上にノスタルジックな電車が通り過ぎていき、絵に描いたような春の観光である。
そして花より団子なのである。見に来たのは桜のはずなのに、出店の方々の声掛けに誠実に応えてしまう。うなぎやさんま寿司、きびなごだのわさび漬けに、なんだかもうくぎ付けなのである。
三島コロッケをほおばりながら、川づたいに海まで歩く。枝の上でメジロが鳴いている。カワウだかウミウだか正体はイマイチ不明な水鳥が、つがいで悠々と真水と海水の混じった場所を下っていく。
海に出ると、水平線の上には、雲が広がっている。海の色は、ゆるやかな曲線を描いて青と蒼のツートンカラーだ。光が作り出す色の違い、それぞれの深さを思わせる。反射して光る水面、時折白く立つ波が美しい。寄せては返す波が、散った花びらのたまりを作っている。砂浜では、きゃっきゃと少女たちがチャンバラだかフェンシング遊びをしている。麗らかである。

食事をする店を探すもののなかなか見つからない。出店の方々は積極的なのに、お店の方はそうでもないようなのである。入店してずいぶん待つのに、茂木健一郎似の店主は「ちょっと待ってて」を繰り返す。下膳された盆の重なる店内のなか、15分ほど入り口で待つものの一向に案内されず、席に着いてもメニューは出てこない、周囲からも催促が重なるなか、その茂木健似の店主は悪びれもせず「忙しいんでちょっと待ってて」を繰り返すばかりである。
隣のおばさんたちが、何度目かの「お茶ちょうだい」を繰り出したあと、自ら立ちだし、奥のほうから急須を持ってきた。「ねえ、この急須洗ってあるの?」などと半ばあきれながら笑っている。
食事はめちゃめちゃ美味である。あじの刺身と金目の塩焼き、御飯も味噌汁もとてもおいしい。お店がひと段落すると、茂木健似の店主は寛ぎだした。
この忙しさでパートさんがストライキを起こし、自分一人で店を切り盛りしているんだとのこと。この花見の繁忙期のために、忙しくない時期からおばさんたちを雇用し、利益をあきらめて備えていたんだそうである。それがこの繁忙期に来て、あまりの忙しさにおばさまたちはギブアップしてしまったとのこと。「なんのためにねえ…」などと、さして困っているようでもない表情で、店主はため息をつくのである。
店主は、「うちの魚はおいしいでしょ?ファンも多いんだよ」と、自分の店の味自慢をはじめる。聞いているうちに楽しくなって、来年も来る約束をすると、「良いのは桜の時期だけじゃないよ、夏もなかなかだよ」などと言うものだから、私たちはますます楽しくなってしまう。待たされたおかげで仲良くなった隣のカップルとも話が弾む。
茂木健似の店主の悪びれのなさ、のびやかな明るさは美味な魚と同じくらい魅力的だ。いらいらしはじめていたこちらの感性を見事にひっくり返してくれる。愛想がないのは、観光地ずれもせず、目の前のことに誠実であろうとする地域性なのかもしれない。
河津桜はヒカンザクラと早咲きオオシマサクラの交配種だそうである。ソメイヨシノの控えめな色の花ばかりが桜ではないのだ。駅や桜並木を案内してくれる観光協会の人たちの頑張りと、のびやかでおおらかな人たちのアンバランスさ、河津というところはかなり魅力的である。なんだかとても楽しいお花見となった。