スキップしてメイン コンテンツに移動

隠者たち

エゴンシーレの絵が東京に来ている。「ウィーン・モダン ―クリムト、シーレ 世紀末への道―」の展覧会である。
シーレに出会ったときの衝撃ったらなかった。グロテスクな色遣いで、「生きる」核を容赦なくぶつけてくる。定まれず、暴れだし、やがて捩れだす激情の渦。濁流の渦に吸い込まれたい情動に駆り立てられる。
クリムトの描いた構図と似ているものがある。しかし、訴えてくるものは真逆だ。
私は絵には詳しくない。クリムトが、優美さを表現しているのに対して、シーレは、「これでもか」と、装飾という装飾を削り落とす。全部引っぺがした歪で大きなむき出した本性に容赦なく殴打されている気分になる。

シーレは15歳の時、梅毒で父を亡くしている。そのあと叔父に育てられ、16歳でウィーン工芸アカデミーに入学後、ウィーン美術アカデミーへ進学した。しかし、アカデミーの形式主義は彼に合わなかった。反発と嫌気の真っただ中、彼は、ゴッホの自由で生き生きとした作風に出会う。創作意欲に駆られたシーレは、制約された世界から解放され、自由な創作を繰り広げた。師事したクリムトは、シーレの才能を認めて可愛がっていたとされている。
第一次世界大戦で徴兵され、捕虜収容所の看守を務めたシーレには逮捕歴がある。住んでいるところでも住民に嫌われ、いられなくなり逃れている。社会性はほぼない。まもなく、ウィーンではスペイン風邪が流行し、罹患した妊娠中の妻が死去、その3日後に、妻と同じ病で28歳の生涯を閉じた。

過酷な環境も絶望も、彼を打ちのめしたりしない。
彼は、自分以外を優先事項として認めない。譲れないものを絶対に手放さない。自らの感性と表現をがっしりと抱き、なにものにも跪いたりしなかった。

私がシーレに出会ったのは、社会人となってまもなくである。
社会性がなく、順応性に乏しく、そして生意気だった。人間関係の確立が一番の苦痛だった。同僚や先輩たちを尻目に、根もなく、水面に浮いているだけのような自分の頼りなさを憂い、心許なさと、批判の感情と、羨ましさに支配された。小っぽけな心は葛藤ばかり。卑屈がコイルのように捻じれ、しまいに自分の感情さえわからなくなっていた。


シーレの大きな絵は私を釘付けにした。近くで見ると、足元には赤い汚れがあり、離れて眺めると、汚れは黒の中で顔をあげている一輪の花だった。踏みつけられたらあっという間の限りなく無防備な生命。種粒から花へと、刹那を重ねて生き抜いた証を掲げ、承認も賞賛も望まず、枯れてしまえば記憶にも残らない。なのに、ふてぶてしく誇りだけを主張する。

なんて上等な生き方だ。それに比べて、私のこのみじめさは何だ。周囲を伺って自分の感情を持て余したり、他の目に映る自分を気にしたりしてばかりだ。今の私は誰だ、どこの誰だ。こんなのは嫌だ。思うままの自分でありたい。こんな非建設的な感情から逃れたい。目の前の絵を見ろ。自分の望む世界を勝ち取るには強さと才能が必要なのだ。
若かったころの私の心に、シーレは強烈な種子を植え付けた。不遜で、歪で、不格好な、言葉にはできない大切なカタマリを。

シーレの生きたウィーンは、絶頂から大戦を経て没落した期間だ。
シーレの描いた人物が私を見ている。それは、シーレが捉えていた視線だ。その瞳を鏡にして、シーレは自分を見つめている。モデルの瞳の真ん中には、きっとシーレの真摯な魂が映っている。時代を経て、その思いがダイレクトに突き刺さってくる。なんて尊さだ。
30年ぶりの再会は面接試験だ。年を重ね、環境に支配されない自分にはなれた。“才能”と呼べるものをまだ持たないが、未熟さを愛しい気持ちで受け入れられている。図太さは、及第点をもらえるかもしれない。

日が暮れる。私たちを照らす夕日を、シーレも見ただろう。雲と落ち行く夕日の反射は美しいか、毒々しいか。空の色は、見る者の心次第だ。必要なのは状況説明や主観感想ではない。これからを見据える目だ。状況を捉え、心を鼓舞し、前へ向かう意志表明だ。
…偉そうなことを言ってしまった。お土産は“東京バナナ”にしようか、それとも、もっと甘めに“うふぷりん”にしようか。まずは、迷子と乗り遅れに注意して、家路に着くとしよう。