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神秘と勇気

先日、バス旅行なるものに参加した。何の予定も立てていなくて、食事を済ませた私たちは、横浜の中華街で時間を持て余した。
初タピオカを経験した。ストローを浮かせて、上澄みのミルクティだけすする。おどおどとすする私を、友人が注視する。だって、どう見たってカエルの卵だ。胃の中で孵化したカエルがぴょんぴょん跳ねる様が目に浮かぶ。やだな、決意して安くない金額を払ったのに勇気が出ない。黒い粒がストローに入ってくると、そっと吸うのをやめる。体に入れるのにどうしても抵抗がある。結果、底にはタピオカだけが残る。グロテスクだ。気弱な私は、ますます抵抗が強くなる。「飲みなよ」、友人の視線が強くなる。今日の彼女はなんだか意地悪だ。

時間を消費するため手相占いに立ち寄る。左手と右手では、手相の意味が違うそうである。
「体力、落ちてきてますねー」占い師さんは率直だ。はい、年をとりました。日々衰えを感じています。
「生命線すごいですね。なかなか死ねませんよ。大きな事故に遭っても1人生き残るタイプです。助けが来なければ、長く苦しみます」え、そんなの嫌だ。
「優しい人ですね。しかし、口が悪いので、その優しさは周囲に気づかれにくいでしょう」ほっといてほしい。
「才能と成功運をお持ちですね。すごい力があなたにはあります。しかし、表面に出にくいので、気づかれにくいでしょう。でもそうなるとないのに等しいんですよ」なんだ?結局だめなんじゃないか。隣で友人が腹を抱えて笑っている。

占い師は私に最後通達をする。「最後に聞いてみたいと思うことを言ってください」。え?恐れ多いくらい抽象的。なのに「最後の」なんてつくもんだから、脳内で、コスパスイッチが勢いよく押される。貧乏根性の合理主義が猛烈に活性化しはじめる。考えあぐねた末に飛び出した質問にびっくりした。思いもよらないとんでもない質問だったのだ。

占い師は、一般論の王様のようなものを持ち出した。しかし、なんだろう、それを聞いたら、すっきりとクリアな気持ちになった。
なんとなく気にしていたことが表面化された。目を向けたくなかった。わざわざ考えたくなかった。そんなあれやこれやを集約した問いが、心からぽろっと転げ落ちた。自分から全部脱いで、さっぱりと丸裸になってしまった気分だ。あとは、お風呂に飛び込むだけ。ざぶーん。心の中の風通しが良いぞ。なんかすごいぞ。ほんとびっくりした。

7、8年ほど前に参加したミステリーツアーで、お城のような印鑑御殿に連れていかれたことがある。占いと称した面談と言われ、生年月日を書かされた紙を片手に、個室に隔離された。警戒心いっぱいの私を担当してくださったのは、とても品格のある方だった。その方は、私にハンコを勧めたりしなかった。静かに問いかけ、私の言葉に耳を傾けてくださったので、他人に決して口にしたことのない感情がほろほろと零れだす。未来に懐疑を持つ私を丁寧に労って、「きっと60過ぎたら怖いものなしですよ」と満面の笑顔をくださった。「今」を乗り越え切れない未熟な私に勇気のもとをくれたのだ。

私は占いは信じない。未来は自分で創るしかない。そんなことは知っているし、わかっている。しかし、不思議だ。占い師はいつも、わけのわからない勇気のもとをくれるのである。