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桃の節句

ひな祭りの由来は、季節の節目である「上巳」。季節の節目には、邪気が入りやすいとされている。 コロナウィルスによって、今日から学校は休校である。地域によっては、「不要不急の外出を控えてほしい」と、首長が訴えかけている。

「なにか変ではないか?」そう感じるのは、私だけではあるまい。今、私たちが戦っているのは見えないウィルスである。未曽有らしい菌である。見えないから対策が立たず、恐怖だけが先行する。誰かの思いつきのような根拠のない発言が、“いかにも感”を得て広がっていく。不安を煽る情報が先行、それに振り回され本質的になにかを得ていない。問題を把握しないまま、翻弄され続けているのである。感染者が出ると各県の首長が出てきて、恭しくカメラに向かって報告する。関心事は「感染源はどこか」である。
報道を見ていると懸念してしまう。
マスク争奪戦の勢いから見ると、「感染源」になり得る方々への差別、その方々の人権が脅かされないか心配だ。
知りたいのは感染者の数ではない。私たちが知らなければならないのは、ウィルスの特徴や症状と、治癒に関する情報だ。発熱し、菌が死ぬのを待つのが有効なのか、菌は死なないのか、症状を知ってどのように対策を立てればよいか、考えるための情報だ。

現在「コロナウィルス」として認識されているのは7種類だそうである。今、問題となっている「新型コロナウィルス(SARS-CoV2)」のうち、4種類のウィルスは、一般の風邪の原因の10~15%(流行期は35%)を占め、多くは軽症で、アルコール消毒で70%感染力を失うことが知られている。
最小限にとどめるためには、「患者の増加スピードを抑えること」と「流行の規模を下げ、患者数のピークを下げること」が必須だとなっている。陽性反応が出ても症状がないこともわかった。保有している菌はずっとそのままの形で体内に残るのか?人の体は発熱することで体内の菌を殺そうとする。私たちの発熱はこの菌を殺すことができるのか。
感染し、快方に向かっている方たちは、ウイルスによる熱や咳などの症状の緩和を目指す対症療法を受け、解熱剤や鎮咳薬を投与したり、点滴等が実施されたと言われている。

学校が休みになれば、養育者だって家庭で子どもを一人にしては置けない。仕事を休む人が増えれば、企業にも差し障りがある。可能になる業務量が制限される。経済効果も大きいだろう。一体、倒産する企業はいくつ出るのだろう。
そして、ショッピングや外食、レジャーランドや旅行、外食から散歩まで、「不用な外出は控えるよう」のお達しだ。ウィルスには「換気が有効」と指摘を受けるものの、家庭に充満するストレスは、どんなに大きなことになるだろう。

ドラッグストアは長蛇の列だ。濃厚接触を少しでも避けるために奮闘しているはずなのだが、取っ組み合いのけんかを始める輩までいる。けれども、マスクで防げるものはなんだろう。あの不織布の薄さで防げることができているのはどの程度なのだろう。
除菌で考えてみるとわかりやすいのではないだろうか。そのまま使える市販品の除菌シートや、空間を除菌してくれるクレベリンなどが品薄だけれど、“除菌”という観点で考えれば代替案を考えることは可能である。
そのまま使えば体には良くないけれども、次亜塩素酸や塩素系の薬品はなどで代替できるものはある。希釈濃度の不安や、体への影響が心配なのなら、哺乳瓶消毒のミルトンでも大丈夫なのではないか。ならば、塩素酸の希釈濃度を知ることや、ミルトンの成分、除菌シートの成分について知識を得れば、なんとでも工夫はできるはずだ。

今日は日曜日である。例年なら、今の時期は偕楽園などで梅が満開のはずだ。白梅も紅梅も光を受けて、芝では家族連れがピクニックを楽しんでいる季節だ。
今年はインフルエンザ感染は少なかったと聞く。コロナウィルス喚起のおかげで、手洗い、うがいなど各自が気をつけた結果だからだという。「普段からこれくらい気をつけてくれればねえ」などと、学校医の方が言う。

コロナウィルスは恐ろしい。しかし、外国諸国に比べて、感染の数は日本人らしさが表れているようにも思う。見えない敵に対して、必死で戦っている戦果なのだとも思うのだ。私は、日本人であることに誇りを持っている。子どもたちや気持ちが弱くなっている方が不安を訴えれば、「大丈夫だよ」と伝え、問題の本質を知り、知恵を絞り正しい対処策を考え、落ち着いて対処できる品格をもって生きていたいと思うのだ。パニックをあおるような情報、リスクばかり訴えられれば、弱い私たちは、「自分や大切なものを守りたい」、だから、危険は「排除」したいという残酷な心が助長されてしまう。ほしいのは、そうならないための情報だ。

自分たちに、何かできないことはないかと考える。講師たちは、マスクに似たような材質を購入して、地元の人たちに「マスクづくり教室」を開催することに決めたらしい。
学校にいけない子どもたちや保護者の方が、家でも創作の楽しさを味わってもらおうとする企画である。

昔のひな祭りは、人形で自分の体を撫でて穢れを移し川に流すことで邪気祓いをする行事として広がっていった。私たちの体には菌を殺せる機能がある。方法さえ知れば智恵を絞って考える力もあるはずである。弱い心を洗い流し、向実性をもってウィルスに立ち向かえる方法を考えていきたいと思うのだ。