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怖い話

村上春樹が昔々に書いた「鏡」という短編がある。

主人公は、紛争で騒がしい大学に進学するのを拒否し、肉体労働をしながら放浪生活を送っている。日々考えるのは、今日、明日のパンと寝る場所である。日銭を稼ぐため、夏休みの学校で夜警のアルバイトをし、奇妙な体験をする…といった話だ。



どっぷり真夜中、見回りの時間に主人公は仮眠から目を覚ます。風が強い。壊れかけたドアが、風に嬲られるような音を立てている。どこか遠い場所で、悲しみに打ちひしがれ呻いている女の声のようにも聞こえる。気味が悪い夜だ。主人公は、昇降口を通り過ぎようとして、なにか動くものを見つける。懐中電灯を向けてみるとそこには鏡があった。動いているように見えたのは鏡の中の自分だ。主人公は緊張を解き、そこでタバコを吸う。見るともなしに鏡を見ているうち違和感を感じる。鏡に映っているのは自分ではない気がするのだ。
鏡の中の自分の視線には強い憎しみがある。目を逸らすことができない。指一つ動かせない。鏡の中の自分から強い支配を感じる。嫌な汗が噴き出す。死に物狂いで恐怖を解き、やっとの思いで護身用の木刀を鏡に投げつける。そんな話である。

夜の鏡は。恐ろしい。見てはいけないものが映りそうだ。昼間ならまだしも、暗闇であちら側の自分と出会ってしまったら、後ろめたさが勝ってしまったら、逃げる場所なんてどこにもない。

何年か前に、座間で定職を持たなかった青年が、自殺願望のある方たちに声をかけ、手をかけていく事件があった。亡骸に囲まれて、罪を感じなかったか、感じなくなったのか。空腹や、お金、自分を満たしてくれる出会い。被害に遭った人たち。人としての尊厳を忘れ、片手間に手に入れた征服感、理性は支配され抹殺される。望まなくても人は獣になれるのか。

報道では、連行される際には顔を隠していた。獣になった表情を恥じていたのか。両手の下に、追いつめられたか、自分で自分を追い詰めたのか、目の前の苦痛から逃れたいだけの獣の表情があったはずだ。

「このままではまずい」と、きっとどこかで思ったはずだ。
自分が自分でなくなる領域に足を踏み入れてしまったら、人はどうしたらよいのだ。怖くて仕方がない。抜け出せず、ずぶずぶと弱さを持て余し、膝を折った時の結末を、たぶん私たちは知っている。それに向き合わなかったら、自分を制御しなかったら、引き延ばし続けたら、安易に「仕方なかった」と言い訳に逃げるしかないという結末を。
「孤独」は恐怖だ。誰かと目を合わせて話すことは、鏡を見るのに似ている。誰かの目をまっすぐ見られるのは、気づかないだけで幸せなのかも知れない。

相手の瞳のなかに自分を見つけたら、にっこりしてみよう。そんな決意で、娘を相手に試してみる。「やだ、やめてよ。気持ち悪い」と、顔を歪めた娘は言い放つ。
良いじゃないか、親子なんだから。どうせいくつになったって、私の葬式にあなたは最前列で参列すんだぜ。仲良くしようぜ、親子なんだし。
「絶対どうかしてる、ほんっとどうかしてる、この人気持ち悪すぎるっ」と、言われながら、娘の瞳のなかの私は、なんだか楽しそうである。