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skyful of stars

年末が近いせいもあるが、切実に忙しい。けれども、振り返ってみれば「これを乗り切れば」と、毎度毎月思っている自分に気づく。思い返すたびに、忙しいと思っている日常は、実はそんなでもなかったような気もしてくる。
なぜ建設的な計画を立てられなかったか、なぜ、楽観してずさんな推測をしたんだ、改善すべきはどこだ。反省と課題ばかりの毎日に、少ない質量の脳ミソエネルギーを費やし、「まっ考えたって終わらないし」の果てないendループ。計画性とか苦手だ。効率性重視ってうまくいかない。なかなか成長できないのか、単にこれも老いなのか。考えたって仕方ないじゃないか。


リフレッシュが必要だ!などとこじつけて、奥日光まで来た。最近知り合った地元の方に、秋から初冬の星空の美しさをプレゼンされた。なんでも素直に鵜呑みにするたちなので、勢いで来てみちゃったのだ。小学生たちがきゃっきゃっと賑やかに、星空解説を聞いているのに尻込みしてしまう。あの輪には入れない…。
ひとり離れてそっと空を見上げても、近眼の目には溶けかけのかき氷みたいな雲しか映らない。諦め半分で退散しようとしたその時、後ろから声をかけられた。「見えるのにはちょっと時間が要るんです。しばらく見ていないと見えませんよ。まず目を暗闇に慣らすんです」え?目を慣らす?まあ、初心者は教えに従いましょう。首を直角に曲げたまま見ていると、ほんとだ!こんなの初めて!とばかりに星が瞬き出した。大きな星の間を、ささやかに光る星たちが空間を埋める。うわあ、星だ、星!カシオペアも北斗七星も、オリオン座もわからないけれど、星! 金子みすゞさんは言いました。「見えないけれど、あるんだよ」みすずさん、仰る通り!ありました。なにげなく見上げる空に、知らない星がこんなに瞬いているなんて。目を凝らしてこなかった。そしてこの光は、とてつもなく昔に放たれた光なのだ。うわ、すごい。ついでに言えばここらへんの源泉かけ流しのお湯だって、たくさんの年月を経た過去の水滴なのだ。上から下から太古の恩恵だなんて、なんて素敵な土地なのだ。奥日光恐るべし。

日々を忙しがる私と、悠久の時を経て着実に表出する自然、そして今夜の恩恵。忙しくても、へこたれそうになっても、行けるところまで行ってみよう。少しずつでも進むしかないじゃないか。
首が痛い。ここに寝ころんだら、首の負担はなくなるだろう。この星を思う存分見ていられるだろう。でも冷蔵庫並みに体温は下がるな。それは辛いな。致命的に明日辛いな。元気でいなきゃだめだな。体は柔らかくしておかないといけないな。見えないときは待つのも良い。待つべきことは、待たないと見えるものだって見えやしないのだ。せっかちは損だな。焦っちゃだめだ。
12月だ。令和2年の締めくくりだ。標高1400mの山の中で、鹿だろうか、「きょんっ」と鳴く高い声が聞こえた。