スキップしてメイン コンテンツに移動

They become unwell

怪我はちょこちょことするけれど、体調を崩すことは滅多にない。だが、崩れるとなるとあっという間である。
膝から下がつめたい。夕刻前に“体が冷えている”感覚があった。おなかも痛む。朝からトイレに行っていない気がする。これが世にいう膀胱炎か?おなかから下が自分の体じゃないみたいだ。
自分の体のはずだ。なのに今、この体はよもや誰かに支配されている気がする。吐き気がする。胸の後ろだか、背中だか、腰のあたりだかが鈍く痛む。痛みが胴体のなかを徘徊しているような気さえしてくる。息が苦しい。消防署に連絡し、夜間当番医を聞いて診察をお願いする。


「おなかが痛いんです。診てもらえませんか?」、「症状を教えてください」。症状を伝え、膀胱炎かもしれないと伝えると、「お水を飲んで今夜は我慢し、明日来てください」と言う。明日は仕事だ。外せない予定がある。「なんのための当番医だ」。毒づきたくなる心を体に押し込め、仕方なしにドラッグストアに駆け込む。膀胱炎の薬を買った。

…動けない。無駄に頑丈な体なものだから、今のこの症状が緊急事態なのかどうかわからない。救急車か?いやいや、容易に世間様のお世話になるわけにはいかない。
もう一度当番医に掛け合う。「動けない」と伝えると、診察を許され、裏口の連絡口を案内された。

診察の際、今晩中に痛みをなんとかしたい、注射なり点滴を打ってくれとお願いした。超音波をとりながら、ドクターは余裕のある笑みで、「脱水症状を起こしています。水分取っていないでしょう」、「それから石が見えますね、水分はこまめに取ってください」。自己判断で、市販の薬を飲まなくて良かった。ひと安心したら、看護師さんまで天使に見えてくる。「注射はしません、抗生物質を出しますね」。
体が不調だと心は弱る。「痛い」感覚にまるごと支配された。健康じゃなくなった時の心細さを思い知った。あらためて健康でいることの大切さを知る。

翌朝、母から電話があった。
入院したという。ここ最近、持病を見てくださっている主治医が変わったので、服用する薬も変わった。そんな折、2回目のワクチン接種をしたものだから、体内が大騒ぎになってしまったらしい。血糖値が異常に上昇したにもかかわらず、通院するのを拒否し続けた結果の入院である。
急に入院となってしまった母の心もちを思うと胸が痛む。こんな時期だから、当然見舞いはかなわない。メールもラインの操作も母にはできない。いつも誰かしかに囲まれて過ごしてきた母の不安を思うと、胸がつぶれそうになる。

病院の許可を得て、毎日葉書を出すことにした。
出すことにはしたのだけれど、あらためてペンを執っても今度は書くことがない。「早く元気になって」、「お母さんがいないとお父さんが寂しそうだよ」、「寝てばかりだと歩けなくなるよ、こまめに足を動かして」。毎日この繰り返しだ。

この年になってさえ、お願いごとばかりを連ねている。いつまでも依存体質だなあ、嫌になっちゃうなあ。
「年配者が10日も入院すると、それがきっかけで寝たきりになっちゃうのよね」。誰かの心ないつぶやきが耳に入る。…そんなの嫌だ。今まで通り元気でいてもらわなきゃ。母のいきいきとした生命力を損なわないでほしい。

¥

私にできることはなんだ?少しでも明るいことを母に伝えよう。元気になるようなことを書きたい。目を皿のようにしてネタを探す。夕焼け、雨降り、雷など天候の話、スーパーで見たスイカや桃など旬ものの話。小さなころの記憶、母との思い出、嬉しそうに母が語っていたことに関連していそうなできごと。お見舞いがなくても、母には元気になる素を摂取していてもらわなければならない。

着信があった。母の声には元気がない。ひとしきり病状や日常の報告を得たあと、火曜、木曜には、父が差し入れや洗濯物の引き取りで来ていることを知らされる。
おずおずと体調と足腰の機能について尋ねる。「声に元気がない?今何時だと思っているの。ここは病室よ。足腰?心配ないわよ、毎日病室でスクワット60回やっているもの」。「それよりお父さんに言っておいて。見舞いに来れないんだったら、病室の窓から見てるから、来た日は見えるとこにしばらく立っているようにって。目印は○○薬局の前。時間は16時。窓越しの見舞いくらいしてもいいんじゃないの?」。
元気すぎる母親に、まだ私の心配は、それほど必要ではないらしい。


入院患者への受け渡し窓口には荷物がたくさんならんでいる。荷物の数、病床の数、それぞれの思いがそこにある。もちろん病棟で従事されている方々の思いも。
思いがあるのはここだけではない。街を行く人それぞれが心を抱えている。なにかをきっかけにそれは果てしなく伸び、厚みを持ち、広がっていく。心は自由自在だなあ。
見上げれば、スカッと遠慮のない夏空だ。空が気持ちよいかどうか決めるのはいつだって自分の意志だ。さて、帰社したらみんなでそんなことを共有したいな。母のエピソードには、きっとみんな笑ってくれるだろう。