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春を待つ

花の色は 雪にまじりて 見えずとも 香をだに匂へ 人の知るべく

小野篁公の歌である。

雪景色の中、寒さに負けずひっそり咲いている梅の花。白い花は、雪に同化してしまって人には知られないかもしれない。でもそこで咲いていることを誰かが気づけるよう、香りだけでも放ってほしい。そんな感じの意味だろうか。


小野篁公は、なぞ多き人物である。百人一首では第十一番に「参議篁」として登場する。平安時代、何人もの帝に仕え、非常に優秀だった。頭脳明晰、博学、博識、あふれる才に、秀でた実務能力。身長は188センチ、お顔立ちを存じ上げないが、現在のイメージでいうと、キレッキレのイケメン(?)官僚といったところだ。篁氏は、優秀だっただけではない。旺盛な反骨精神も語り継がれている。その反骨精神は野狂とも称された。ちゃんとした自己を持ち、自らの「正しい」を通す力量、後世になんとも可能性と勇気を感じさせてくれる人物である。
この篁氏、できる男であるあまり、とんでもない伝説を持つ。昼間は帝に仕えつつ、夜は地獄に出仕して、閻魔大王が行う裁判の補佐をしていたというものだ。
嵯峨にある井戸から、冥界に夜な夜な通い、朝になると別の井戸を通ってこの世に戻ってくる。地獄に行く入口が「死の六道」、戻ってくる地獄からの出口が「生の六道」と、現在も両方に石碑が残っている。

さてさて、そんな人物が歌う梅の花。
「あなたが頑張っていることは、なかなか人には知られないかもしれないけれど、決してあきらめてはいけないよ」
なんだか、天才的な才能というより、がんばって自分を生きなさいよ。気づかれにくいかもしれないけれど、前向きに行こうぜ。きっと報われていくから。と、明るく気楽に投げかけてくれている、まるで応援歌じゃないか。

篁氏は努力の人だったのだろう。魑魅魍魎の宮中で難局に遭遇する度、五感をフル活動し、精一杯生きたのだろう。
日々の状況に、目を見張り、耳を澄ませ、考え、自分の洞察を信じて行動し、結果を出す。その時その時を必死で生きてきた軌跡だ。シゴトができて、アタマも良くて、言いたいことをちゃんと表明して、きっと「あいつはナマイキだ」と、嫌がられることも多かったろう。なかには、「ナマイキだから懲らしめちゃえ」的なやんちゃな意見も少なくなかったに違いない。
そんななか、なぜ篁氏は自分のままに生きられたか、歌を見ながら洞察する。


宮中や権力図を見る優れた観察眼、嗅覚。それは観察対象の広さ、視界の高さ、自分が他人からどう見られているか、自分は他にどう影響を与えるか、難事に遭遇したら何を柱に乗り切るかなどの視点。
そして、方策は、現在をつくっている過去のできごと、そして現在をしっかりと見据え、過去と今の延長線から想定されるいくつかのパターンでシミュレーションし、未来を導く。その結果と現在、そして自分を繋げて最良を目指す。
もちろん困難を乗り切った後も、人々は注視を諦めないだろうから、その後の行動についても注意を払う。全力で日々を積み重ねた結果が、伝説を生むような人生になったのだろう。
篁氏は自分をなにも諦めず精一杯で生きた。感動ものだ。お金は残さなかったけれど、お母様をとても大切にしていらしたという人物像も残っている。

優れた人をスーパーマンみたいに言うことは易い。でも優れた人だって生身の人間だ。自分が嫌になったり、他人を嫌いになったり、うまくいかない日に舌打ちしたり、「ケッ」と石を蹴飛ばしたりする日もあったと思う。いやいや、高潔な人物は、私のようにそんな品のない行動はしなかったかも知れない。
梅の花が雪に埋もれるような景色かあ。地球温暖化のせいで雪がそんなに降らなくなって、しかもここは北関東だから、実際にそんな景色を目にする機会はないけれど。


私が育った家では、庭に祖母の好みが濃く反映されていた。祖母が過ごす8畳間からは、季節の花が楽しめるよう、右に夾竹桃、左手には濃い紫のテッセンとガクアジサイ、正面に白い梅と桃が植えられていた。桃の花は可愛らしかったけれど、花と一緒に樹液みたいなものがよく沁みだしていた。祖母は、桃には害虫がつきやすいと言ってこの木を厭った。
祖母が介護を必要として亡くなるまでの3年間、当時専業主婦だった私がそばにいた。(祖母の性質はとても特殊で、介護をスタートした日から3日間で通いの介護さんを3人退職に追い込んだ。)時折縁側で季節の花を見て過ごしたけれど、社会に参加できない苛立ちが勝って、愛でるような気持ちは薄かったと思う。

晴れ渡る空に白梅が美しい。呼応するように、濃い水色の空に真っ白な雲が浮かんでいる。この美しい景色を篁公も観ただろう。誰かに気づかれなくてもいい。私は私でしたいことを形にしてみたい。伝説にはなれない。でも、揶揄されたり、陰口みたいな噂話くらいは時に生むかも知れない。
昔々から愛されてきた白い梅。嵯峨に梅を愛でに行きたい。しかし、世の中はコロナ自粛だし、時間とお金を考えると、まだまだ気楽に嵯峨にまでは足を延ばすのは無理そうだ。来年あたり高速に乗って、偕楽園で烈公の愛でた梅の花でも見てこよう。