スキップしてメイン コンテンツに移動

油断大敵 猫に鰹節


ネコに噛まれた。
と、言うと「え? 飼いネコに?」と返される。相手の表情が瞬時輝き、お目目キラキラと私の不幸を笑っているように見えてしまうのは、今日の心が歪だからだろうか。
確かに拙宅のネコはお転婆ムスメだ。平気で腹の上で寝るし、時折フミフミしながら私の顔に爪を立てる。けれども、たとえちびっこギャングたちに追いかけまわされても、尻尾を掴まれても、絶対に反撃はしない。心根のやさしいムスメである。胸を張って、彼女の潔白を証明しよう。

知人宅で初見のネコに噛まれたのだ。恐るおそる“はじめまして”と、親交を深めようと差し出した右手をぐぎっとやられた。
「だめーっ! その子は凶暴だから触っちゃダメ!! 知らない人は特にダメ!!」…そういうことは早く伝えてほしい。“小動物系にはちょっと人気があるの”と、高をくくっていた数分前の驕りが腹立たしい。
ぼとぼとと出血は止まらない。差し出された“抗生物質”の塗り薬を親指に塗り込み、CMで見たことのある進化系の絆創膏をかぶせる。
ずきずきと痛みは激しくなり、指は腫れあがる。抗生物質って最強だと思っていたが、そんなことないらしい。ミミズがのたくっているような字はなんとか書けるけれど、腫れあがった手を人様に晒すことがなんとも無様である。

仕事があるから客先に行く。会う人、見る人、ドラえもんと化した右手に驚愕する。ありがたいことに、皆さんすぐに診察を勧めてくださる。
「早く」、「すぐに」、「診てもらって」。心配いただきありがとうございます。でも、コレ今日中に仕上げないとなんです。終わらないうちは行けないんです。「ここ医者だけど」、存じております。優しいお気持ちに遠慮なく乗っからせていただきたい。そんな心と裏腹に「でも…」を繰り返す。何度か同じやりとりを繰り返した後、相手はため息まじりにボールペンを持ち出し、腫れた範囲と計測時間を私の手に直接書きこんだ。14時・・・15時・・・、「ほら、どんどんひどくなっていくわよ」、「関節だから良くないわよ」、「下手すると手術になるわよ」。

あー、優しさに従ってしまいたい。けれど、まだまだ終わりそうにない。普段がばっちり健康で、人様のお世話になることなど滅多にないものだから、差し出された優しさが、万能軟膏のように弱い心に浸潤する。幼い子どもに戻ったように、優しさで満ちたカタマリの中に素直に飛び込んでしまいたくなる。これほど甘い誘惑が世の中にあったのか? 直接的かつ快楽的優しさシャワーの享受だ。甘美だ。心はどんどん崩れ、カタマリ&シャワーに取りすがってしまいたい。そんな思いが葛藤し、体のなかを駆け巡り、知恵熱だかなんだかわからない熱が湧き出てきて、頭の芯がぼーっとしてくる。
いかんいかんいかん、情けないな、子どもかよ。自虐が葛藤に参戦し、三方囲まれ、不利な戦いの最中にいるような心様になってくる。いかんいかん、集中集中集中。あーあ、余裕があれば、気持ちよく優しさに従えるのに。あーあ、結局私ってだめなんだよなあ。葛藤に情けなさまで参戦して戦況は不利な状況です。弱さに支配されそうです。

診察時間ギリギリで駆け込んだ処置室で、わかっていたけど手当の悪さを叱られる。小さなアジシオの瓶くらいに腫れてしまった親指は、点滴だけで済まないらしい。同意書にサインを促され、破傷風(筋肉注射なんだそうである)を打つことになった。


点滴の準備をしながら、看護師さんは、「筋肉注射」の単語を繰り返す。「すごく痛いんですよ」、なんかそうみたいですね。「破傷風は薬量が多いんですよ」、はあ。「我慢できますか?」 仕方ないですね。「大丈夫ですか?」 はあ、一応大人なんで。「少しでも痛さが軽減するように薬あたためておきますね…、点滴が終わる頃には適温になっているはずです」、あ、ありがとうございます。「痛くないところに打ちましょうね」、はあ、なんだかすみません。「肩に打つと痺れます」。それは困りますね。「運転して帰りますか?」 ええ。「誰か迎えに来れますか?」 いいえ、運転して帰ります。でも右手が不自由で、左肩が痺れては危ないですね。
「…。」、なんですって? お尻に打つんですか? 「はい、それなら痺れても大丈夫ですよ」、全然大丈夫じゃありません! お尻? えっと、ここでお尻出すってことですか? 嫌です、絶対に嫌! とは、ここでは絶対言えない。大人ですもの文句は言うまい。いや、でも、しかし。お尻出すの? やだやだ絶対嫌だ。無理無理無理。…騒ぎたいところだが、そんな態度はとれない。「あの人は注射におののき駄々をこねた。いい年してやーね。ぷぷぷ」…後世そんな逸話を残すわけにはいかない。ましてやここは客先なのだ。
点滴が終わると、ひっくり返されうつ伏せの姿勢になる。まるでまな板の上のコイ。いやいや、ベッドにうっぷしている肉のカタマリ。看護師さんは優しい口調で、私に心の準備を促す。「ちょっと痛いですよ」、何度も聞きました。もう言わないでください。「今から薬が入ります、もっと痛くなりますよ、いいですか?」 いいも悪いも、お願いだからもう黙って早くやってくれ。

…放心である。今回の教訓と今日の学び。
1.はじめましてのネコに気軽に手を出してはいけない。2.早い時間に受診していれば、肩の注射で済んだはず。「余裕を持った行動を」を戒めとして、本気で真剣に取り組む機会なのだ。3.客先であるこの診療所は混み合うことで有名だ。なのに待合室の患者さんたちの表情はおしなべて穏やかだ。診察扉の向こうには、先生と看護師さんたちの暖かみが待っている。どんなに忙しくても崩すことのない優しさがある。親身さを加味して惜しみなく差し出してくださる。なるほど、様々な年代の患者さんの持つ不安にそれぞれ合わせ、寄り添ってくれる多様なカタチの思いやりがある。19時30分を過ぎた待合室に、待たされることにイラだつような剣呑の空気は流れていない。

今日はたくさんの気づきがあった。
心配されて、実際に助けてもらえる喜びを享受した。親しみがなければ相手は踏み込んできてはくれない。近しいと感じてもらうのはこんなにも心強いものか。誰かから庇護され遇される安堵。こんな気持ちはどれぐらいぶりだ? 胸に広がる人心地。
それから、家で待っている拙宅のムスメ(ネコ)の優しさにも気づけた。彼女は、ただ一緒に過ごしているだけではない。しっかり飼い主の気持ちを汲んでくれていた。怖い思いをすれば素早く身を隠しもするけれど、突然噛んだり、威嚇したりはしない。家族の意に沿わないことをしたりしない。今まで気づかなかったけれど、なかなか賢く優しいお利口さんだったんじゃないか。


注射は痛かったし、恥ずかしくて穴があったら引き籠りたかったけれど、今日得たものは大きなものだ。「怪我の功名」だ。あれれ? 怪我はしたけれど、名を上げたわけじゃない。こういう場合はなんて言うんだ? 功名とは言い難いぞ。

包帯でぐるぐる巻きにされた右手を差し出し、「お風呂はどうするんでしょう」と看護師さんに訊いてみる。「包帯が取れるまではお風呂だめですよ」。え? だめ? 「シャワーならいいですが、右手は使っちゃいけません。完全防水した上でシャワーしてくださいね」。その夜、片手で全身を洗い、左手で左腕を洗えないことに気づいた。悪戦苦闘の末、その夜私はふくらはぎで左手を洗う妙技を生み出したのである。
次の日、風呂場での妙技について、ドヤ顔で披露させていただいたのだが、聴衆のみなさんはポカンである。大きな効果を生む斬新な技ではあるが、名を残すような技にはなり得なかったようである。