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松の実ばかりが松じゃない?

暑い。推定気温39度。平熱体温を上回るなど、まるで大気自体が発熱しているみたいだ。

ほんのちょっと世の中を湿らせた後、梅雨はあっけなく行ってしまった。次に訪れたのは、猛暑、猛暑の酷暑日攻撃である。今年のモンスーンは、せっかちなのか気まぐれなのか、ほんとにもうこの暑さ、老体には堪えるんだよなあ。

今年度2コース目の職業訓練が始まった。OA経理事務科である。
3カ月でPCスキルと簿記3級を取得する。換気のために窓を開けているせいか、空調が効いていない教室の空気がくぐもって見える。
“ごめんなさいね、みんな暑いだろうけど、感染拡大を防ぐためには換気が必要なんですよ。勘弁してね”的な笑顔でお出迎えする。
受講生の皆さんは、3か月間ここで過ごす。未来の武器を手にする努力を積み重ねる。それぞれの期待と、これを乗り越える未来への漠とした不安が、教室の中を対流する。

入校式の挨拶を考えてなかった。
ふいにそう思ったものの、事前に挨拶を考えたことなどなかったと思い出す。いつだって話したいことは自ずと湧きあがってきた。今日は、暑さに気持ちまで持っていかれている。
このコースの受講生は12人。それぞれの表情が若々しい。今日が入口、修了式が出口、その間の変化を楽しんでと話す。目的と手段をはき違えそうになりがちだから気をつけてと話す。思うようにいかなくても焦ってはだめ。学びながら、自分探しの寄り道をちょこっとしてね、他の人の経験をたくさん聞いて、自分の特性や美点に気づいてねと投げかける。
今日は午前中で散会。オリエンテーションは明日。すぐ職業人講話が入っている。最初の階段が高いと言われる簿記について、少しでも理解の助けになるような話をしよう。そんなことを考えながら教室を出ると、空調の利いていない廊下がサウナのよう。

眠りが浅い。夢がリアルだ。同じような夢が続いている。際限なく繰り返す既視感に、夢を見ながら苛立っている。
現実の話と、物語のなかの話。混在してくるのは暑さのせいか、空調が不調で頭がぼーっとしてくる。大体“話”の右側は「千の口」だけど、“語”の右側は「五の口」で、圧倒的な分量の違いがあるのねと、わけのわからないことを考え出している。
あー、もう考えない。今日は考えない。考えるだけややこしくなる。今日は事務的かつ作業的な仕事をしよう。

日報をチェックしながら、最近どこかの先生から聞いた「松果体」なる単語に思いを馳せる。
「松果体」とは脳の真ん中にある部位だ。メラトニンと深い関係があって、体内時計をコントロールする。なんだか秘密基地の中核みたいだ。本能を刺激して、司令は絶対、最強だ。
デカルトは、松果体を「魂のありか」と呼んだらしい。ヨガでは「チャクラ」とか、「第3の目」とかで認識されているらしいし、オカルトチックな言葉は、ゲゲゲの鬼太郎的な世界観だ。「三つ目が通る」は手塚治先生の作品だったな。読んだ気もするけれど、記憶はおぼろ。男の子がおでこの絆創膏をはずして能力発動。制御が効かなくなっちゃうような場面もあったかな。
「松果体」は、意識の渦の役割を果たし、原始記憶に関連するという。最近読んだカタカムナ文字の本に書いてあった。
「チャクラ」とか言われると、数十年前に起きた事件が浮かんできて、怖い気もしてきちゃうんであるが、脊椎動物の本にも、哲学分野にも登場する「松果体」という単語は、妙に私の心を捉えたのである。

昔、夢日記をつけていた。自信が持てない時、夢から無意識世界を知っておくことで、現実と自分を俯瞰する手段にした。
目覚めた後、すぐに走り書きで記録する。今、どういう状態なのか、現在の捉われは何か、指針にしていた時期がある。
もう二度とやらない。夢と現実の区別がつかなくなって、日がな一日ふわふわしているような感覚に襲われた。あんな感じは、金輪際ご免被る。
時折、夢日記を読み返すけれど、破天荒で滅茶苦茶、ぶっ飛んだ展開で、オカルトチック冒険漫画として読めば、なかなかにおもしろい。友人に見せたこともあったが、真顔で「病院行きなよ」と諭された。
でも夢は大抵が破天荒にできている。無意識世界のリセット機能だから、内容どころか、夢を見たこと自体、殆どの人が覚えていないことも、今なら知っている。
あの時期と同じで、今日は白昼夢のように地に足がついていない。暑さで茫、芯まで茫、脳みそまでクツクツと沸騰している。空調の利いた室内で弱音を吐いたら、路面で交通整理している人に蔑まれそうだ。


今日からのコースは9月末で終了する。6月から走っている4か月コースと同じ日に修了式を迎える。
その頃まで、残暑は居座っているかなあ。物価高騰も不景気も、ある程度落ち着いていたら良いなあ。就職市場が活性化され、売り手市場で安定し、受講生の活動が有利になっていたらもっと良い。 簿記もWordもExcelも、履歴書に書くことができる有効な武器だけれど、訓練中で気づいてほしいのは、訓練生自身の特性であり適性だ。自分らしい未来を描ける勇気と自信だ。
自分の関心・興味の対象を見つけてほしい。探求が好きか、調和が心地よいか、サポートが好きか、精度を高めることにやりがいを感じるか、ワークライフバランスやルーチン業務に安定を感じるか、企画や創造に関心があるか。自分の志向や心地良さはどこにある。どんな自分が内部に眠っている? 今の自分も、未来の自分も、大切にしながら見つめる術を養ってほしい。
その目を「第3の目」と呼ぶのかも知れない。見えないものを見えるようにする力、内部に焦点を合わせ、自身なさに揺れる心を鎮めつつ、まっすぐ内省の海に潜る力。そんな目とそんな心をつくってほしい。目を凝らし、耳を澄ませ、しっかり今を見つめてみよう。見つめ切った後に、ひょろひょろと、しかし弾力をもって立ち上ってくる、自分だけの金の糸を見つけてほしい。

「松果体」かあ。松の実って食べられるんだっけ。確か、仙人の実とか言われていたっけ。実と果実って意味は同じなの? いかん、いかん。また思考の堂々巡りに飲み込まれる。でもなんか、ちょっと不思議な名前、魅惑的な名前だな、松果体。