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telephone Ring Sound

電話が鳴る。担当者宛てだ。私宛のものは少なくなった。それぞれがきちんと成長している証拠。喜ばしいことだ。

進んで取らなくなったものの、たまに受話器を取ると営業の電話だったりする。
「社長はいらっしゃいますか」と尋ねられ、「なんでしょう」と返すと、お勧めしたいとっても良いものがあるとかなんやら言われ、再び「社長をお願いします」と畳みかけられる。
「社長は私です」と、わざわざ答えたくはないし、嘘つくのもなんだしなあとつらつら考えながら「間に合っています」で切り上げようとすれば、みなまで言わないうちにガチャンと切られる。ノルマに追われ、毎日たくさん架電するのだろう。そりゃあクロージングまで考える余裕はないだろうなあ。

わが社のことを、ちゃんと調べてから掛けてくる方もいる。「……社長はいらっしゃいますか」と名指しで呼ばれ、「はい、なんでしょう」と返せば、怪訝な声で「ですから社長をお願いします」と来る。電話の主は私の声じゃ満足しないらしい。なのでこちらも「私ですが」と答えるのをすっ飛ばし、「ですからなんですか」と応答する。“社長は男性”というバイアスは、きっと日本人にありがちかも知れないな。確認してくれればこちらも気持ちよく対応できるのにさと、もんもんしながら受話器を置く。
時間外とか休日とかに、かかってくる営業電話もある。“自分たちをブロックする事務員は、もう帰ったであろう作戦”なのだろう。戦略はひと工夫されているのに、ひと手間プロセスを省いちゃっているのと、日本的バイアスのせいで、営業さんは目的を達成できない。やっぱり電話営業は大変だ。


ひと昔前、ふた昔前? 秘書だった頃には、様々な電話を繋いだ。声のいい人、気持ちのいい人、何度も粘り強くかけてくる人、居丈高な人、裏腹な人、様々な人がいた。自分の判断でブロックする電話も多かった。個人的な親しみを装って打破しようとする人の作戦にまんまと乗ってしまうと、あとから汲々と叱られた。名前だけではなく、“どこ”の“誰さん”まで確認し、不審に思うと“差し支えなければ”の枕詞つきで、要件迄突っ込んで社長に繋いだ。
声だけのやりとりではあるが、そのうち親しみが伴ってくるやりとりもあって、取り次ぐ前に世間話なども交わすようになった。積み重なった親密さがストロークするそんなパイプ役は、見えない相手にもきちんと自分を認知されているようで好きな仕事でもあった。
なかにはとても尊い名前の方がいらっしゃって、「社長、神様からお電話です」と取り次ぐと、周囲がすごくびっくりして電話と私を注視する。なんだか、自分がほんとの神様と知り合いみたいな気がしてきて、電話を取り次ぐたびとっても嬉しい気持ちになれた。

証券会社などの金融商品の営業もたくさん受けた。なかでも印象的な若い営業さんがいた。新規開拓の電話をちょくちょく受けた。そのたびに「ウチは決まった所としかお付き合いできないので」と丁重に断った。元気で気持ち良い挨拶、まっすぐに伝わる健気さと熱意、都度都度断っても礼節を失わない素直な落胆に、いつのまにか感化された。その営業さんを上司に売り込む立場に変化している自分にびっくりしたこともある。

掛かってくる側なら、こんな風に色々と言えるけれど、掛ける立場になれば全然違う。自分で掛けるのは大の苦手だ。第一気は小さいし(あまり理解されないけれど)、勇気をもって掛けても、なんだかいつもタイミングが悪い。
知ってる人にも、よく知らない人にも、電話を掛けるからには心づもりが必要だし、相手も状況も見えないからこそ尚更気が引ける。苦手意識がどうにも抜けない。
友人に掛けるのだって気が進まない。勇気をもって掛けたって、「ごめんね、今ちょっと…」なんて言われたら、「そうだよね、忙しいよね、いいのいいの、こっちこそ邪魔しちゃったね。ごめんね、ごめんねー」など、まるでU字工事なみのクロージングで素直に引き上げる羽目になるのだ。

電話は勇気がいる。状況を濃霧の中で把握するような不明瞭感、相手にしたら“唐突のいきなり感”。電話は怖い。特に時間に追われている時に突然鳴る電話は脅威でもある。
そうは言っても仕事となればそう言ってもいられない。怖いと感じるからこそ、「今、2、3分大丈夫?」と確認する。確認しながら、前置きの長さと日和見がちになっていそうな自分を嫌悪したりする。でも、せっかく出てもらったのだもの、どうせならお互い楽しく話したい。場合によっては、気の進まない用件で掛けなきゃいけないこともある。やだな、掛けたくないな、気が進まないんだもの、気が進まない話を聞かされる相手だって気の毒だよな。やだやだやっぱり掛けたくない。気持ちを振り払って、意を決して掛ける。あーやっぱり電話は苦手だ。
こういう場所で公表すべきことじゃないかも知れないけれど、ずーっと前にものすごい数のいたずら電話に悩まされたことがある。出ると切られ、受話器を置くとすぐに鳴って、また切られてしまう繰り返し。回線がそのいたずら電話に是非もなく占領される。
あまりにも多く鳴るので、正の字を書きながら記録してみたら、なんと1分間に72回。いくらなんでもと電話会社などに相談し、対処をお願いしたらめっきり止んだものの、着信を知らせる受電ランプはしばらく点滅を止めなかった。

事務所でのんびりできるのは久しぶりだ。活気のある事務所で、電話片手に社員それぞれが仕事をしている様を観察していると、各人の応対がなかなかに興味深い。
少しでも有益な情報を相手にプレゼントしようとする社員、意識して会話の中に相手の名前を取り入れて親しみを醸す社員、さっぱりと明確に応答する社員、悲しいけれども自分の都合や用件を長々と押しつけてしまっている社員もいる。
耳を澄ませているだけで、それぞれの心様が声音に現われる。相手と会話を共有したい気持ち、思いやり、暗くなりがちな話をポジティブに転換を試みているのは優しさ? しっかり応答し、相手を安心させる頼もしさもある。不明点をしっかり確認し、明瞭な回答を引き出そうとする着実さも見える。ある者は体調不良者の電話を取っている。病状を確認し、的確に必要情報を手際良く伝えている。また、言われたことを言われるままに、誠意を時間に変換しているみたいな不思議な応対もある。
みんなの声音も、相手によって様々だ。緊張していたり、リラックスしていたり、親しみが満ち満ちている声もある。きっと受話器の向こう側の声も、同じように共鳴しているだろう。相手が見えないからこそ、声からたくさんの情報が発信されてしまうようにも思う。

思い返せば、私が外から掛ける電話は、早口に思いつくまま用件だけをまくしたてて、受けた社員は厄介な気持ちになっているかも知れない。なにかを思い出したり、課題解決のアイディアを思いつくと、すぐにカーナビ電話を押してしまう。厄介な社長である。ちょっと反省。

そんなことをつらつら考えていると電話が鳴る。受話器を取れば、銀行に行っている事務さんからだった。
「社長、お昼買って帰りましょうか?」。優しい声音。「え? どこに寄ってくれるの?」「どこにします? 今日は何を食べたい感じですか?」お礼を伝えるのも忘れ、もちろん私の声は弾んでしまうのである。