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はじまり

忙しない気持ちを手放す。
今年の目標である。

お正月に左足を骨折した。
動けない。旅先で吹雪に押し込められ、ようやく晴れた朝のまぶしさに誘われ散歩に出て、凍った道で派手に転んだのである。
痛いし、情けないし。晴れやかな初春にひとり取り残された心許なさに打ちひしがれる。朝食の席で気づいてくださった仲居さんが、自前のシップを分けてくださった。人の情けが身に染みる。有難く頂戴した。


昨年も正月にけがをしたなあ。どうやら、この時期注意力が散漫になるらしい。つらつらと考えながら、整形外科の待合室に座っている。
MRIを撮っていただくと、丸い踝の骨にきれいに一直線の筋が見える。「見事に骨折です」完治に3カ月かかるという。ギプスを固辞し(身動き取れなくなる)、説得されても固辞し(そそっかしさの表明みたいじゃないか)、装身具なるものを足に撒いて、車椅子に乗る。リハビリシューズ? パンプス履けないのか。不自由だなあ。
リハビリのお兄さんに松葉杖を渡され、練習を促される。こんな格好して、人前に出るの厭だなあ。あーあ、あーあ。悔やんだところで時は戻せない。格好悪いなあ。

松葉杖をついて電車に乗る。普段なら5分の移動が12分かかる。乗りたい電車にことごとく置き去りにされる。松葉杖でスペースが嵩張る。立っているだけで、人様の迷惑になっているような気がしてくる。邪魔にならないよう気を遣う。気持ちが小さくなっていく。
ぎっこたん、ぎっこたんと杖をついて移動する。不意に「大丈夫ですか?」と後ろから声をかけられた。「あ、ありがとうございます」。大丈夫だと伝えたくて笑顔を作る。「こちらお掛けくださいな」「あ、ありがとうございます」。なんて優しい。とっても嬉しい。サプライズプレゼント。この国は優しい人で溢れている。車内を見渡せば、ご年配の人、足の不自由な人(私もだ)、赤ちゃんを抱っこしているママ。気をつけてみていると、移動が大変な人はたくさんいる。みんな大変そうだ。それぞれ目的があって大変ななか移動しているんだ。
足は痛いけど、松葉杖はみんなの邪魔だけど、縮こまりそうな気持だけれど、暖かくなってくる。今までぼんやりとしか見えなかった大事なものが、確かなものになって心に刻まれる。余裕がないって駄目だな、ちゃんと見るべきものを見て暮らしていかなきゃいけないな。

体のバランスにも敏感になる。
片足での荷重具合、左足を庇うことでかかる負担。激痛が走る。
よいしょ、よいしょと慎重に上っていく。上りよりは下りが危ない。1段ごとに気を配る。子どもみたいだ。狭いところを踏みしめる時、変な力が入ってしまう。こういうところで体は緩急つけているのか。無神経に昇降すれば、蹲りたくないくらいの痛みが襲ってくる。
よくスポーツ選手がルーチンだとか言って、右からだの左からだのと言うのは、自分の体と会話しているからなのか。身体からの発信を気にしたことはなかったな。怪我すると、信号に耳を澄ませることになるのだなあ。


社内でも「大丈夫ですか?」と声をかけられる。有難い気持ちが湧いてくる。不完全な状態でいるのも悪くないな。甘えにも似た感情を味わう。こういう大事なことを覚えていなくちゃ。怪我も悪いことばかりじゃない。私自身がもっと優しくならなければいけないのだ。

なにがしかが不自由になって、日頃の自分を鑑みる。痛みを忘れず、思いやりを当たり前に受け取っちゃいけない。都合よく生きていってはいけない。いただいた思いやりを知らない誰かに私も返していかなくちゃ。何でもすぐに忘れてしまう私だから、去年も、今年も、新年早々、定期的に考える機会があるのかも知れない。

2週間後の通院で車椅子に乗せられる。看護師さんが車いすを押してくれる。ちょっと申し訳ないけれど。この守られている感、楽ちんで気持ちがいい。癖になるかも。 先生が経過の良さを褒めてくださる。だって先生、私とっても素直ですもの。先生の言いつけをきっちり遵守していますもの。そう伝えると、先生はカルテに「good!」と書いてくださった。
「松葉杖は返却されるの?」「はい、楽なんですけど、今度は右腕が筋肉痛で」「じゃあ、車椅子は所定の位置に戻しておいてくださいね」。え、もう行っちゃうの? 不意に現実に戻される。
そうですよねー、goodなんですもの。優しさに乗っかって甘えてしまってはダメですよね。頑張らなきゃいけないな。ひんやりでぷるぷるのシップを貼って、装身具でホールドしたら、今夜も足を高くして寝よう。
ゆったり過ごそうって、ほんとは経年劣化が原因かも。みんなこうやって年を取るのかな。でもね、そうじゃない。焦燥も挫折感もきちんと感じている内部からの信号だ。このままじゃ良くないよっていうシグナルだ。変わっていくんだ。2023年のはじまりだ。