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流し雛

お一日参りに行く。
とは言っても今日は3日。1日に行けなかったので遅刻参拝である。
車を止めて鳥居をくぐる。見上げると鳥が飛んでいる。大きく羽を広げて、気流に身を任せて、すごく高い場所を飛んでいる。とんびかなあ、あんな高い場所。優雅に孤高の高さを行く。きっと気温は低いだろうけど、気ままに自分を空にゆだね輪を描いて。いいもの見たな。幸先のいい思いだ。
境内には、隣の公園に来たのだろう親子連れが2組。老齢の紳士が一人。自転車で到着した女性が一人。横目で見ながら、無事2月を乗り越えられた感謝と、3月の意宣りを胸に氏神様に手を合わせる。

境内を散策していると、自転車女性が靴を脱いで壁に寄りかかっている。顔が歪んでいる。声をかける。持病が原因で痛みがひどいらしい。少し経てば痛みは治まる。1つお願いしても良いですか。言われるまま頼まれごとミッションをこなし、他に手伝えることがありますかと尋ねると、「大丈夫」とのこと。境内散策を続ける。
高い空ととんび。気持ちよさそうだったなあ。いいなあ、上昇気流に乗ってしまえば羽ばたきもいらない。気持ちよさを存分に楽しんでいるように見えた。つらつら考えていると、さきほどの自転車女性に声をかけられ返事をすると、女性はすごい勢いで喋りだした。圧倒されながら話を聴く。なんかすごく大変らしい。なんかすごい頑張っているらしい。すごい量の情報がすごい勢いで脳内に入ってきて、理解したり整理したりするのに手間取る。
彼女の激動ストーリーは20分ほど続いた。聴きながら時間が気になる。同時に、「あっごめんなさい。お忙しいのに」と言われ、「あっ…大丈夫です」などと、あまり大丈夫ではないのに反射で言ってしまう。根元が白いまま伸び切ったウェーブのかかった髪。異国的な匂いのする服装。腕には大きなパワーストーンのブレスレットがたくさん。今の大変な状況を打破したい気持ちが外見からも窺える。
この神社は、明るく生きる力を与えてくださるご利益があるそうですよ。…しまった。何度も来ていると、さっき聴いたばかりじゃないか。余計なことを言ったとつかのま後悔する。しかし、目の前の表情は明るくなった。「聞いてくれてありがとう」「頑張ってくださいね」。別れ際、名前を聞かれ、名前を告げてさよならした。

彼女が教えてくれた年齢は、私とほぼ同じだった。体力的にも精神的にも力がなくなってきている自分に比べて、アグレッシブに生きている。かなり劇的な状況だけれど、彼女は自分を嘆いていない。その強さに引き込まれた。
とても苦しそうだった。彼女はたくさんの話をしてくれたけれど、それは全部過去と現在の話だった。昔の彼女と、生きてきてたどり着いてしまった今の環境。自分のことを誰かにわかってほしかったのだろうけれど、そこに未来の話はなくて、どうしたいという話も出なかった。だからこそ、出口がなくて息苦しい。彼女がつけていた幾輪のブレスレットの輪っかが、まるでとぐろを巻いている渦巻き感情にも見えた。
「どうなったらいいと思いますか?」上手に尋ねられたなら、未来に繋がる空気穴が開いたかも知れない。でもなあ「どうなったら」かあ、どう尋ねたら良いというのだろう。「どうしたいですか?」「どうなりたいですか?」「今の状況から抜け出たとしたらどんなことをしたいですか?」…うーん、難しい。
正直でまっすぐ物を言う人だった。思うこと、正しいことを全部口から出てしまう。生きにくいだろうなあ。だいたい生きにくくない人生なんてあるのか。そんなの単に要領よく、円滑と自分都合を基準にした薄っぺらい感じってことになるのかも知れないな。

会社に戻ると、新婚旅行中の社員から電話があった。
旅のしおりまで作って出発したのに、もともと夫婦してインドア派だから、外で過ごすことに難儀して、もう早く帰りたい。一目散にお家に帰ってしまいたい状況。なので予定変更して早々に引き上げてくるらしい。おいおい、平均年齢高めの事務所で、我々年配者の影響を受けて、体力的な衰えが来ているんじゃないの? 新婚旅行なんて幸福そのものの象徴。その真っただ中にいるのに、旅行よりも自宅でのんびり満喫することを良しとする。

どう感じるかが重要なんだよな。
さっきの自転車彼女だって、平穏よりも今のように戦い続ける方が合っているかもだ。勝手にこちらが「苦しそう」なんて解釈して、「どうなったらいいと思う?」なんていう質問は、勘違いも甚だしい。甚だしいにもほどがあると、叱られてしまうかも知れない。
相も変わらず、ぐるぐると正解を見つけない私だって、そもそも正解を求めず、迷いの中に身を任せているのがどうにも心地良いのだから。

今日は雛祭り。流し雛の由来は、穢れを撫でて形代に身代わりになってもらうこと。形代は穢れとともに川を流れ、大海にたどり着き、やがて深い深い海の底に沈んで泥になる。大祓の文言そのものである。 今を嘆いたり、正解を見つけたがったり、たどり着けなくてモンモンしたり、現状を打破できない不甲斐なさを嘆いたり。それでも日々そんな感情に付き合って、健闘している私たち。穢れと呼ぶにはあまりにも愛しい感情ではないか。流してしまうには、愛着がありすぎる。
アグレッシブでもインドア派でもない私。正解なんてほんとはちっとも好きじゃない。目的や結論がない考えを頭に置いておくのは、実はとっても気持ちが良い。そう考えると、やだわ、一概に簡単に言い切ることなどできはしない。迷いや悩みや辛いできごと、うまくいかないあれやこれやは、穢れという言葉となんて距離のあることだろう。なんて言葉は、あまり意味を持たないんじゃないか。
押し入れにしまってある娘の雛人形を思い浮かべる。雛あられを備えて、木札のオルゴールは、「楽しい雛祭り」を奏でた。何度も何度もオルゴールのゼンマイをコリコリと回し、何度も何度もそのメロディを聞いた。何度も何度も同じ調べを一緒に聞いて、聞いているうちになんだかみんな嬉しくなって、それだけで幸せでその場が笑顔で満ちた。
もう何年も出していない。お内裏様の優しくて上品な面差しを思い浮かべる。雛祭りかあ。今日は錦糸卵を作ろう。桜でんぶを買ってちらしずしにしよう。ハマグリも買ってお吸い物も添えよう。春の弥生のこの佳き日、今日は楽しいひな祭り。