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入校式

「雷鳴抄」※によると、プラネタリウムの語源は惑星(プラネット)+見る場所(アリウム)を組み合わせた造語だという。
アリウムね。アクアリウムとかテラリウムとか、「見る場所」をお尻にくっつけているわけだ。ふうん。


ためてしまった新聞を読んでいる。地元紙なので地域のことがよくわかる。曜日によって意趣が異なって、目を通していくとなかなか楽しい。

今日は5月ゆっくり学べる経理事務養成科の入校式。あと15分で開会する。
スーツを着用して、緊張気味の面持ちで座している受講生。入校式の空気はいつだってちょっぴりピリッとしていて、それでいてとてもフレッシュ。私のフレッシュタイムはどうだったかなあと、振り返る。

40代、産業カウンセラー受講開始日。15人のメンバーそれぞれが「私、経験豊富です、結構なんでもわかってますし」的自信満々に見えて、萎縮したのを覚えている。
20代後半、医療事務講習開始日。みなさん揃ってとても若くて、その中で際立って自分だけトウが立っているような気がした。専業主婦で子どももいて。受講料一括払の皆さんの中で、分割払いは私一人で、なんだか肩身が狭いような、なんだか場違いのような、思い切り縮こまって座していた記憶が強い。そんなだから、新しい知識を詰め込むのに精一杯。わからないことが出てくると「こんなことで躓くのは私だけだ」的な惨めさに苛まれたものだ。

祖母が立てなくなって介護が必要になって、働いている母の代わりに祖母のそばにいた。そんななかで週2回の通学だったから、大変だったけれど、大切な息抜きの時間にもなった。朝一番で保育園に子どもを預け、駅の近くに駐車して電車に乗って教室に通った。
帰り道は、駅のあるデパートで、華やかな売り場を横目にしながらリフレッシュした。買い物を楽しむ人がみんなセレブに見えて、でも、そんな場所で買い物できる余裕はその頃の私にはなかった。華やかな気持ちにはなれたけど、やっぱりちょっと卑屈な気持ちで歩いていたのを覚えている。
その学校には、「試験に合格したら就職もお世話します」という制度があった。残業がなくて、土曜出勤もなくて、正社員でという職場が理想だったけれど、教室にはキラキラした若い人たちばかり。子持ちで若くもない私は、紹介なんて来ないんだろうな、来たとしても、希望なんて通らないだろうな。そんな気持ちと、だったらどうすればと方法を模索して戦略を練ろうという気持ちとが鬩ぎあっていた。しょせん無理な願い、期待するだけがっかりする、でも…と葛藤の繰り返しだったことを覚えている。

必死だったな、教室で誰かと会話を交わした記憶が微塵もない。唯一覚えているのは、そんな私を気にかけてくれていた親切だった職員さんだ。名前はKさんと言った。
Kさんはなにかあると、いや、なにもなくても、機会を見つけては声をかけてくれた。みんなと馴染まない私を気にかけたのか、ただ単に優しい人だったのか、今では確かめようもないけれど、講座をやっていた学校の名を聞くたび、今でも私はKさんのことを思い出す。

もう講座も終わろうという時期、Kさんに「あなたのおうちはお医者さん?」と聞かれびっくりした。お医者のうちだったら分割払いしませんよ。と頭の中で答えながら、「え? 違います、なぜ?」と聞いた。「あまりに熱心だから。ご家族のために来ていると思っていたの」と言われ、なおさらびっくりした。「合格したら良いところを紹介できると思うのよ」と言われ、さらにびっくりした。
確かに私、必死。でもそれを誰かが見てくれてるなんて、それも先生じゃない人がそう見てくれてるなんて。涙が出そうになって、そんなの見られたらもっと恥ずかしくて、「私、総合病院か大学病院に行きたいんです。子どももいるし、18時までやっている診療所に勤務するのは難しくて、でも正職で働きたいんです」咄嗟にそう口にした自分にもっとびっくりした。

Kさんは笑わなかった。無理とも言わなかった。「そう、じゃあそれで探してみるわね。半年くらいかかるかも知れないけれど」。穏やかにそう返してくれた。
Kさんは約束を果たしてくれた。1年かけて3つの総合病院を紹介してくれた。しかし、介護生活を投げ出すわけにはいかなくて、Kさんの誠意に応えることはできなかったけれど。
医療事務を学習して、勉強していくうちに「私、計算が好きなんだ」と気づいた。祖母を介護しながら、日商簿記の資格を取った。好きなのは「計算」で、「勉強」では決してなかったから、挫折しそうな自分をだましだまし、短期決戦で突破した。

経理パートの再就職から人材会社に移籍して2年目。10年ぶりに医療事務(レセプト作成代行、しかも手書き!)に向き合うことになった。殆ど知識は忘我の果てで途方に暮れた。しかし、1日カルテを眺めて、2日目もカルテを眺めて、たくさん眺めているうちに頭ではなく、手が記憶を呼び戻した。その後3日で仕上げた時は、嬉しくて飛び跳ねてしまったものだ。
その後、その診療所では5年にわたって仕事をさせていただいた。たくさん叱られたし、仕事も人間関係も先生とのやりとりも本当に本当に大変だったけれど、クローズする最終日、いつも厳しい事務さんに、心のこもった挨拶をいただいたことは、今でも鮮やかに覚えている。

新しいクラスが始まる。
受講生たちはここでなにを見るだろう。なにを発見するのだろう。
受講生は12人。それぞれの世界や経験は異なるし、価値観だってもちろん違う。ウチに通うことが良いきっかけになればいい。新しい視点で、様々な角度で自分を見つめ、たくさんの可能性でVR体感して、お互いが影響し合うことで発見できるものがあると良い。価値軸が明確になって確固たる手応えがあったら良い。
教室に午前10時の陽が射しこむ。Kさんの笑顔を思い出す。途中で放り出したくなった診療所の古い机を思い出す。受講生に自信と勇気を持ってもらえるよう支えよう。この教室が、みんなにとって良いアリウムになりますように。

※「雷鳴抄」・・『下野新聞』のコラム