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猫とストレス

長毛の猫がいて、9歳だ。顔の周りとおなか、そしてしっぽの毛を残してバリカンをかけた。見た目、猫というよりライオン。

猫に個人情報が適用されないだろうけど、ここでは名を“にゃん”と呼ぼう。

“にゃん”は家から出たことがない。リビングからも出ない。私が帰るまで独りぼっちである。窓の前でいつも帰りを待っている。撫でるとはっきりと文句を言ってくる。「遅かったにゃあ」「なにしてたんだにゃあ」と、ご機嫌斜めを訴える。
ブラッシングをまめにしてあげなかったせいで、“にゃん”を毛玉だらけにしてしまった。はさみでチョンと切ってしまおうにも、肉まで傷つけてしまいそうで怖い。トリマーにあたっても快諾してもらえず動物病院に駆け込んだら、さくっとバリカンで全身刈られてしまったのだ。最初の兆しは、ゴールデンウィークに家を空けたこと。それ以前も、その後にしても、忙しさに遭負けてほとんど遊んであげなかった。ごはんとトイレと1日1回のチュール、最低限のお世話しかしなかったら、全身を毛玉だらけでみすぼらしい姿に変化してしまった。

日々忙しいと言いながら、ほんとはそうでもない気もする。
“にゃん”をはじめ、周囲に忙しいのを言い訳にして、許しを乞うていたような気がして、なんとも後ろめたい。すごく疲れている気がするのは、梅雨や猛暑、天候のせいもあるかも知れないけれど、そんなのはますます言い訳のような匂いがする。
徹夜になることもあったけれど、ほんとは気持ちの問題なのだ。なんとなく消耗しきって、時間も自分もコントロールできていなかった。不手際をちいさな“にゃん”に押し付けてきただけのような気がして、ますます気が滅入ってくる。

「時間は投資、時間はお金」と言葉にする。刷り込むように何度も繰り返す。
“にゃん”は言葉をもっていない。けれどもいつも私を見ている。そうすることで、黙って気持ちが同化していってしまうらしい。最近はそばにも来ないで、キャットタワーの下やソファーの裏で隠れるように過ごしていることが多かった。

ストレスかあ。そんなのとは結び付けたくないんだけれど、最近の私は「気枯れ」ている。年のせいではない。なんとなく負の感情を持ち重りさせている。発散できる機会を意識的に設けているつもりで満足している。リフレッシュできる時間という名の箱を作って眺めて、無理くり納得しようとしているだけのような気がしてくる。
心の健康ってなんだっけ? “にゃん”ごめんね。小さな体でそんな私のなんやかんやを吸い取ってくれていたんだね。悪いことしちゃったね。許してね。不思議そうにこちらを見返してくる視線。ごめんね、辛かったね。何を置いても労わりたくなる。実際には、そんな気持ちになるだけでおしまいな現状であるが。

今年もストレス対策とセルフコントロールのセミナーが始まる。6月から12月まで月1回、そのあとカウンセリングがセットになって、組織内メンタル支援の仕事である。
キャリア支援の前提はカウンセリング。今年はCBT(認知行動療法)、CR(認知再構成法)、ヘルピングの技法を取り入れる。新しい知識を優先しがちになる自分を俯瞰して、質の向上を果たせているか確認しながら進めていく。
長くやっていると慣れが出る。支援の場が増えてニーズも多様になる。
去年から運営の声がかかるようになり、役員を引き受けたり、自分のカレッジを持つようになった。技能士1級の指導も手掛けるようになった。資料を作る量が増えるし、日々返信しなきゃいけないメールも倍増している。

「自己研鑽と自己成長」と呟いてみる。できることはなんだろう。むくむくと持ち上がる自己防衛みたいな自己正当化を成敗し、自分の中のフェルトセンスに伺いを立ててみる。こめかみを指す“上丹田”、胸を意識する“中丹田”、ヨガで意識を集中させる丹田は “下丹田”。なんだか頭でっかちになっている気がするな。負の感覚に意識が行き過ぎている。

なにもかも停滞しがちである。
「ゆったり過ごす」ことと、「先送りにする」ことはイコールじゃない。新たに資格取得をするために申し込んだ講座は、テキストを開かないまま受験申込の期日が過ぎて見送った。年内に仕上げる予定の複数の論文もまだ手つかずだ。
先送りにして、ストレスを抱え込んで、ただただ時間を浪費する。そして後悔する。新たなストレスを引き寄せて増やしながら、いたずらに自分を軽蔑する時間が増える。

食事をしてもすぐに戻してしまう“にゃん”と目が合う。私を“にゃん”がじっと見ている。、身体の毛を刈ってしまったので、意外とほっそりしている胴体が目に入る。
小さいけれど、しっかり生きているんだな。
おなかを撫でると、足を上げてもっと撫でろと催促する。そのあと私の指を抱え込んで、大切そうに舐めてくれる。
“にゃん”と名を呼ぶ。にゃんはぐるぐる喉を鳴らしながら目を閉じる。可愛い。 い奴め。チュールもう1本あげちゃおうかな。でもまたすぐに吐いてしまったら良くないね。
おかしなもので、“にゃん”は自分を猫だと思っていない。猫であることも知らないようだ。ゆったりとくつろいでいる姿をこちらに示すことで、私にもゆったりすることを強いてくる。思いやりをくれるみたいに。

7月、経理・総務の職業訓練が15人でスタートする。梅雨というより、昼間の酷暑と夕方のゲリラ豪雨の変な天気。
7月のコースばかりではない。5月のコースも、6月コースの受講生も、新たな目標をもって学びをはじめている。みんな目標もってはじめるんだよなあ。私のように1年単位で考える余裕もなく、3カ月で決着をつけていくんだよなあ。新しい学びに邂逅できる喜び。とは言っても今の私は気枯れていて、半分くらいしか気持ちを共有できていない。

“にゃん”のおなかを撫でながら、きちっと立て直しを図っていくとしよう。見えない自分の負荷に挑むよりは、みんなの自信と勇気を支援できる関りを優先させるとしよう。
おでこをyogiboに押し付けて、伸び切っている“にゃん”が私を癒す。名を呼ぶとしっぽだけで返事をする。今日はおしまい。明日起きたら窓を開けて、陽を浴びて、1日の始まりの空気を胸いっぱいに吸い込んで、爽やかさを取り込まないとな。この年になれば、だれもこのふがいなさを叱ってくれる人もいない。自分で自分を取り戻さなきゃ。元気だけが私の取り柄。
気枯れだなんて甘えの沼から抜け出して、新しい自分を取り戻していこう。