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やさしい雲


アウトドアワゴンをコロコロと引っ張って草いきれの中を歩いている。
照り返すアスファルトの熱が強烈。剥き出しの腕をじゅうじゅうと焼く音が、朦朧とした耳に聞こえてくるようである。

酷暑。夕方、ゲリラ雷雨が来ても地面を冷やさないまま朝になる。
孫に催促されるまま向かう先は、栃木県民夏の友、一万人プール、通称“万プー”である。到着地寸前で渋滞にはまり2時間が経過した。埒が明かないので、助手席から飛び降りて歩きだしたのである。
早起きして拵えた茹でたまご。唐揚げ、稲荷寿司がワゴンの中で発酵しそうである。

真夏の匂いがする。
子どもの頃の記憶が草いきれの匂いに直結する。猛烈なセミの鳴き声が、脳天麻痺に拍車をかける。夏休み。炎天下。7月と8月、盛夏と残炎。2つは明らかに違う。8月には昏さがある。弛緩の感触とともに哀しみがある。
夏祭り、灯篭流し、そしてお盆。神様と仏様を迎える儀式。そして原爆、終戦…、御巣鷹山。草いきれ、夏茜、セミの声。そして、入道雲、入道雲…。
車の中に水を忘れてきた。ワンピースの背中がびっしょりだ。脱水症状手前である。

「今では指輪もー回るほどー…」『くちなしの花(1973年 唄:渡哲也)』。6月で雑文を書いて以降、頭に残った歌詞が無意識に口をつく。
痩せてやつれたお前の噂…と続く。ザ・昭和歌謡。歌うのは、石原軍団を率いる渡哲也団長。別れた男女、時を経た男の耳に届く昔の女のハナシ…、とちょい色っぽめの男の演歌。…ではなかった。不意に思い出して息を止める。

正確な歌詞を確認するために引いたウィキペディアで見たのはこの歌の出典。レコード会社のプロデューサーが『くちなしの花』を世に出した。きっかけとなったのは、〈海軍特別攻撃隊 遺書〉という戦没学徒の遺稿集。感動を受けたプロデューサーは、朗読で収録するアルバムを企画した。
その中で見つけた海軍飛行予備中尉の遺稿集〈くちなしの花〉。中尉は訓練中の事故で亡くなった。若き中尉の遺稿によって、プロデューサーは企画を練り直すことになる。
「できるだけこねくり回さず、シンプルに音域を増やさないように」と要望で、できあがった曲をピアノで弾くと、プロデューサーは涙を流したと言う。経緯を知らない歌手が、このエピソードを聞いて、「この歌で泣いたのですか」と驚いたと言う。

『くちなしの花―ある戦歿学生の手記(光人社NF文庫)』が、ショルダーバッグの中で揺れている。帯にあった文章は、本を手に取った私の心を強く打った。
“俺の言葉に泣いた奴が一人 俺を恨んでいる奴が一人 それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人 俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人 みんな併せてたった一人…”
手記には日々の心が刻まれている。一人の人間として、一人の大人として、一人の男として、自分を律し、真っすぐ見つめ、誇りを自らの手でしっかり掴み取ろうとする純真な心。苦悶、後悔、自省、願い、正しく生きたい、まっすぐな心でいよう。自問を繰り返し、自分の在り方を問う手記だ。
繰り返される亡くなった母への言葉。愛しい人への思い、諍い、言えなかった言葉。伝えたい心、。後悔、謝罪。伝えきれなかったものを希望に繋げようとする思い、逡巡、慟哭。ノートの調達にも苦労しただろうに、祈るようにペンを握り、よすが縁にしたであろう心が、78年の時を経て、誰彼の心の中の水面に小さな振動とともに広がっていく。
入道雲を見上げる。
中尉は、国の未来を繋げるために、自分自身全部を投入した。戦地を移動しながら、来る日も来る日も操縦の腕を磨いた。国のために。家族のために、まだ見ない未来の子どもたちのために。そして、なによりかけがえのない大切な人のために。


今を作ってくださった方々がいるから、延長線上の今がある。今目の前にある毎日は、必死につないでくれた大勢の方の恩恵。私たちは恵まれているんだなどと、軽々しく観念的な言葉で口にするつもりはない。
戦争は昔話ではない。この空の果てでは続いている戦禍がある。紛争や暴力、迫害を受けて自国を逃れた人々がいる。ゆっくり眠ることも、大切な人と過ごすことも望めない。当たり前が少なくなって希望を見いだせない人々が確実にいる。
口にはしない、でも忘れない。たくさんの死者を出した私たちの国。私たちは忘れない。犠牲とは言いたくない。懸命に時代を繋いでくださったことへの感謝を、祈りに変える。戦禍の国の空の下、禍々しい事態がどうか解決され収束することを信じたい。
過去の積み重ねが今を創る。今の積み重ねが明日を作る。信じることができれば、変える力が生まれてくるはずだと、考え続けなくてはいけないと。


太陽がてっぺんに来ている。
ビーチパラソルの下で、浮き輪や遊具、華やかな水着などカラフルな光景を眺める。
穏やかな時代に生きる私たちは、それでも未来を信じることができない。苛まれウンウン唸りながら、今日を続けて歩いていく。仕事もそう。苦しくて、放り出したくなって、前を向けない日もある。それでも大きな何かを信じて、土台になりそうな可能性を繋いでいく。それしかない。それしかないと知っていても、竦む足先を見つめているしかない日だってある。
順調に進むことなど奇跡のようにさえ思う。「行動に意味があるか、それをすることでなにかに繋がるか」と、ナナメ45度上からしばしば顔を出す嘲笑に振り回される。惰性みたいな諦念が、やめてしまえと耳打ちしてくる。けれども、けれどもそれらをチラ見しながらも、明日への手探りをやめるわけにはいかない。「“くちなしの花の、花の香りが旅路のはてまで ついてくる”」。口遊みながら、中尉の言葉を思い出す。“俺を忘れないでいてくれる奴が一人 死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人…”。繋げるための活動を。弱さに負けて、足を止めたりしてはいけないのだ。


ミンミンゼミ、アブラゼミ。命を繋ぎ、大音量の蝉時雨。時空が重なる。生きた証をむきになって主張、表明して鳴く蝉たちの声。
15時を回った空は、片側だけ暗くなり始めている。夕立になる。けれども南の空はまだ明るくて、切り損ねた薄い大根みたいな月を浮かべている。入道雲から距離を取って、右から左へと広がる巻雲が空を靡いている。まるで、平たいフラット筆で薄く刷いた跡みたいな雲だ。
低い空を、丸くて軽そうな雲がゆっくり流れていく。中尉もきっと見たであろう、夏の空。丸い雲は、お盆で帰ってきた人々と希望とを両方乗せているようにも見える。
やさしい空、やさしい雲である。