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好きな格言

「 “因果応報”です。」
好きな格言を聞かれ、同席した美しい女性は実に堂々と答えたのである。

客先の役員室でのこと。聞いたのはその部屋の持ち主であるZ部長である。
「因果…応報?」普段は動じない(動じても表情にはめったに出したことがない)Z部長は、思わず復唱する。Y女史はまだうら若く、清楚な知的美人の見本のような女性である。そんな優美な見た目から、まさかのインパクト強めの言葉。続いて「…なにかあったの?」と前のめりの姿勢をされる。
彼女は、無邪気に格言の意味をつらつらと話し出す。
「因果応報ね…、因果応報」何度か繰り返しながら、「いや、それはわかっているんだけどね…」的な感情が、Z部長の表情から最後まで消えなかった。

後日ひとり書類を届けた役員室で、「この間の彼女、どんな苦労をしてきたの」と、消化しきれない感情を私にぶつけられた。数日間ずっと心に残るほど、ギャップを伴った強烈なインパクトだったらしい。
Z部長よりは、彼女をたくさん知っている私は、なぜ彼女がその言葉をチョイスしたのかを知っている。その言葉の捉え方、意味合いは感覚的に共有している。しかし、なんとも的確に解説できる自信がない。けれども、できるだけ同じ意味で伝わるよう代弁を試みた。
培った努力は報われる。しかし努力がなければたどり着けない。目標と、実践と、時間がそれを決着する。だから私は今を頑張っていきたい。彼女、そんな気持ちを表現したかったんですよ。
「でもねえ、因果応報だよ。因果応報。なんだか背景を考えちゃうよ」。
「彼女も結果を信じて、今を精一杯積み上げてきたんだと思いますよ」「努力は報われる、そう言いたかったんです」「意味は同じでも、もっと前向きな格言で表現できればよかったと思うんですけど」。
私は彼女を思いっきり庇ってしまう。でも、でも、言葉に対する受け取り方はほんとに人それぞれで、Z部長の驚愕をクリアにして差し上げることはできなかった。でもその人の感じ方はその人独自のものなのだ。簡単に覆ることはない。
 
因果応報。あらためてグーグル君に聞いてみると、「因果関係に基づく報酬や結果」「原因と結果の関係」という意味の仏教の教え。自分の行いの善悪、良いことも悪いことも等しく報いがある。ネガティブなだけではなく、ポジティブな意味でも使われることもある」。なんとなく悔しい気持ちとか、そんな気持ちを無理やりおさめる時に使われることが多いのだろう、ネガティブなイメージの方が先行している。「自業自得」とか無念の時に吐き出す呪いの言葉みたいな、復讐的な気持ちが強いような。
そんな気持ちを表したいのなら、いっそのこと「ハムラビ法典」まで進化させちゃった方が良い。「目には目を、歯には歯を」。今の時代、そんな言葉を主張したら、目医者さんや歯医者さんからクレームが殺到するかも知れないな。

「因果応報」から感じるイメージを、身近な人たちにリサーチしてみる。
結果はやはり「怖い」、「根深いものを感じる」という印象。言葉の印象だけではない。言葉が人に与える衝撃、その人自身の感性が大きく影響しているようだ。
言葉は怖い。特に強い言葉は。話し言葉は書き言葉と違って消しゴムも使えない。インパクトが強いほど、驚愕、衝撃とともに、その人自身のイメージまで上書きされてしまう。一旦口から放たれた言葉は、あとからどう繕いたくても、補足補完したとしても、ますます拗れてしまうのだ。

会社の書棚には「ネガポジ辞典」と「言い換え辞典」があって、とても重宝している。
就職支援の際の「応募書類の書き方」で、2冊は思いのほか活躍するのである。多くの人は、自分を表現するのに、どうもネットでググった無難な言葉を使いがちだ。なので、ネガティブなことでもなんでも良いから、その時感じた強い気持ち、忘れられない感動や衝撃を書いてとお願いする。汚い言葉でも、マイナス表現でも、ネガティブでも、汚い言葉でも、感動や自分の達成感は、時に十分盛ったものになっても良いからと。
できごとをどう受け取ったかは、その人だけの真実だ。どう感じて、どう理解して、どう意味づけて、どう取り入れたのか。それ自体が経験であり、その人らしさを構成するものだ。
時には、罵倒言葉で爆発感情を書いてくる人もいる。そこまで共有できれば確実な一歩前進。その思いの表現を意味はそのままに、どう客観的に言い換えていくか。一緒に検討していく。経験、価値観、経験をどう消化してどう表現し昇華するか。未消化の思いに意味づけできていけば、キャリアを考えて行く上でとても大きな手掛かりとなる。

「因果応報」に捉われて、モンモンしている私に、事務さんが飲み物をそっと差し出してくれた。

赤くて紫がかった深い色が透明で、冷たいコップに水滴の粒がついている。陽に透けて中の氷がきらきらしている。「わあ…」と思わず感嘆の声が出てしまう。「私のお手製です」「皆さんには昨日飲んでいただいたんですよ」「昨日はいらっしゃらなかったから」。一口いただき、「カフェとか開けそう」と、感動が口から洩れてしまう。「社長、出資してください」と、笑顔が返ってくる。
ほんとうに。いつかそんな日が来ると良いねえ。綺麗なものがあって、美味しいものがあって、おなか一杯になって、いろんな人が気持ちよく過ごせるところ。そんな場所が作れると良いねえ。
紫蘇ジュースや季節のジュース、なんだったら季節のハーブティーとかも出てきたりして。「おなかがすいた」とか言ったら、ぱぱっと冷蔵庫にあるもので焼きそばとか出てくるところ。


あり合わせで作るから、具にはバラ肉とキャベツ、ひき肉ともやし、ウィンナーとポテトとか日によってちょっと違っていて、それもまた嬉しくて。毎週特定の曜日には、とっても凝ったワンプレートなんか出てきちゃって、特別感みたいなご褒美的な気持ちになれたらとっても嬉しいよな。 幸せだなあ。なんて気持ちのいい空想だろう。そして何年か頑張れば、その空想を現実に変えていけるかも知れない。いろいろな人がいろいろな思いでやってきて、いろいろな満足で時間を満たす。居心地よさにもいろいろあって、みんないろいろだけれど、みんなが安心できる場所。
そんな思い付きを口にして、「5年後とかなら出資しましょう」「課長、そういうわけだから。成績伸ばさないとならないよ」。課長と言わずなんとなく全員に発破をかける。

「因果応報」。頑張って今を重ねる。毎日重ねて、なにかがあっても変わらず続けて、なにもなくて退屈しちゃってもきちんと続けて、それではっきり形成できるものがあったら、それは立派な因果応報だ。原因があるから結果が出る。目標があるから頑張れる。どうせ頑張るなら熱意をもって時間を味方につけていきたい。

5年後オープンの仮想カフェの名前を考える。素敵な名前が良いな。思いが伝わる名前が良い。でもこの気持ちを表す名前など、一朝一夕に思いつけるはずもない。実現を信じて、ゆっくりじっくり考えて行こう。なんだか良いぞ。妄想要素…いや、毎日を明るくできる楽しみが増えた。

言葉は魔法だ。カフェオープンを迎えるオーナーも、こんな思いを胸に夢を実現していくに違いない。素敵な名前が思いつくと良いな。飲み干す前の紫蘇ジュースの淡いキラキラが、夕日の射す室内を照らしてくれる。