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CRONUS

女子会である。丸の内でお茶なのである。

メンバーは3人。同い年の昭和女子。中学校で同じ部活、12歳から15歳をともに過ごしてきた。
ずっとアパレルで働いてきたKちゃんが、企画しているライフスタイルブランドがスタートする。渋谷と仲通、関西にも2店舗オープンとのこと。なんだかすごいね、そうなの来て来て、のお茶なのである。
ついでに、Fちゃんが好きな横尾忠則展にも足を延ばしちゃおうぜとなって、空も綺麗な良い日和を満喫なのである。ソーダ色の空に刷毛ではいたような雲が美しい。そんなことを言うと、「雲が龍に見える派なの?」と、トワイライト・ゾーン(昔々のアメリカのちょっと怖いテレビドラマ)的な質問を受ける。いやいや、あれは龍ではなくエノキダケっぽい。そうするとこっちはシイタケか。お鍋にいい季節だよねと、無責任な会話が平気でできるのが、長く親しい友人の気安さである。

Kちゃんは、昨日一日パンプスで現場立ち仕事だったという。えー、私らの年でそれは辛くない? きついよね、帰ってもすぐ寝られるわけじゃないしさ。その後メールチェックしてお風呂でふくらはぎを温めながら、ローラーを当てていたら、かゆくなっちゃってさ、軟膏刷り込んで寝たのよ。そうなると50後半お年頃の定番コースの話題が乱れ咲く。
すぐに息が切れてしまう昨今のカラダ事情の話、55歳を過ぎて定年前に給与が下がった話、一体何歳まで働けるのかしらね、そうなるとさ年金受給開始時期をどうするのさ的な話、私たちそういうオトシゴロなのよねと、ますます会話は弾んでくる。
ひと段落すると、「最近のワカイモノは…」的要素の話題となり、いやいや若くてもしっかりしているのもたくさんいる。いやいや、最近同年代でも価値観が合致しない人増えてるよねのグチ合戦。
なかでも関心を引いたのは、Fちゃんの部下の話。理由を明確にせず「休みます・・・」で休んでいた子から連絡が入り、「合わせる顔がないので今日も休みます」と言うのだそう。「とりあえず出てきなさい!」と言い、電話を切ったというエピソードに、「苦労しているねー」と同情が集まる。積極性がない、主体性がない。なんでしょう、イマドキノヒトタチは。若い、若くないに関係なく、そんな話を耳にすることが多くなった。
私たちの頃はねー、そんなの許されなかったよね。ハラスメントに気をつけましょうなんてなかったしね。若かった頃、叱られても理解できなくて不貞腐れて、十分心の中で毒づいた。でも、長電話して心の中の毒を処理できた。時間なんてたくさんあったし、自分を立て直す環境があった。振り返ってみれば私たちも若くて未熟だった。だけれどそんなことって大抵は忘れてしまう。忘れたふりをしてしまう。もっと年を重ねたら、なかったことになってしまうかも知れない。「合わせる顔がないので休みます」なんて、私もちょっと言ってみたかった、勇気あるなあ。とてもこの場で言えないけれど。

気楽に思うままに話せるのは、昔から知った仲だからである。たまにお互いが日程を合わせて会う昔馴染みだからである。そう言ってしまえば荒涼とした言いっぷりであるが、無責任に楽しいのだ。気が置けない仲間と言うのはやはりとても有難い。今の時間は50ウン歳になった私たちではなく、お互い中学生の時の表情と向き合っているのかも知れない。

企業の重鎮の方とお話をすると、昔話に花を咲かせた後、「みんないなくなってしまったけどね」と、灌漑深い表情を見せていただくことがある。現役引退した同級生の話、逝去された仲間の話。ふっと女子会を思い出す。お話を伺いながら、何年後かの自分たちが重なっていく。 どんな偉いひとだって、昔は若かった。時には未熟さを嘆きながら、自分の立ち位置と環境を恨みながら、やっとやっと達成感を手に入れて、小さな達成感を積み重ねて今を手に入れているのだろう。時間ってすごいな。経験を積める機会があるって偉大だな。逃げたくなる時も、怖くて走ってしまいたい時だってある。過去ばかり語りたくないな。

職業訓練に通う方たちには、自己肯定感を保てていない方も少なくない。面談をしていると、「ほんとうは…」と得意なこと、夢のつぼみみたいなものをそっと打ち明けてくれることもある。現実、まだ漠然とした、ひっそりとした小さなキラキラ。
そんな時、若い人に「時間」について投げかけてみる。誰だって無力の時から年を取る。可能性を形にしていくには、自分のなかに持っているそんな特性や資源を、誰にでも平等に与えられている「時間」を活用して味方にしてしまおう。これからのこと、せっかくの自分にしかない資産を、つぼみが花へと育てられる過ごし方について検討してみたい。どんな場所で過ごす? どんな人から、スキルやモチベーションの維持みたいな養分を取り込んでいく? 今は心許ない表情に、漠然とした希望が少しでも具体的な形になるよう聴いていく。

確証もお金もまだ十分じゃないかもしれない。でも、あなたたちには大きな資産がある。過ごしていく時間を考えよう。どこで過ごすか、どうその大切なものを育んでいくか。どこで今の思いを種にして、蒔いて、お水と養分をどのように与えていくか、考えてみよう。時は最大の味方。どう育っていくのか考えよう。それをシミュレーションしてみよう。客観的に考えて、経過点を今と結び付けて、まず何をしていこうか話し合おう。急ぐことはない。今心の中にふっと生まれてきたなにかを信じながら、決まるまで寝かせてみよう。そこで出てくる答えがあなたの一歩。ゆっくり自分の心を観察しながら、必要な情報を一緒に探りながら自分らしい伸ばし方を考えて行こう。

過ぎた過去を懐かしむのもいい。時には同じだけの時間を戦ってきた仲間と、好きなように思うままを吐き出すことだって大切なことだ。けれども、自分の夢を大切に育みながら、未来をもっと信じて行こう。変化を恐れるな。時には蹲って時間をやり過ごすことだって立派な戦略だ。そんなことを思いながら、希望を語る若い人の瞳を見つめる。若い人が語る未来は無敵だ。そう思っているあなたの夢はあなたの宝物だ。心はいつだって自分のものにして、時間を味方にして、あなた独自のキャリアを育てていきなさい。夢は叶えるものではない。育てて具現化して手に入れるものだ。

近所の行政機関から17時を告げる音楽が聞こえてくる。今日が過ぎて、明日が来る。あっという間の年末である。
年の数だけ過ごして、また新しい年が来る。悲しいニュースや痛ましい報道もたくさんあったけれど、心を整えて今日を真っすぐ重ねていこう。