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Snow is falling and it's all quie

ザ・モノクロである。静かな風景である。音を全部吸い込む静寂。そんな雪なのである。
お昼時間を取りそびれて15時過ぎに弁当を広げる。仕事をしているところでは気が引けて、会議室に入ったところで雪に気づいた。だいぶ前から降り出したのだろう。モノクロの景色に放念する。

雪の影響に思いを馳せる。室内で眺める分には美しい。浮かれた気持ちを抑え込むように、まずはデメリットから。昨年は雪が凍った道で転び、踝を骨折した。公共機関ダイヤも乱れるし、道路状況だって。高速道路が封鎖されたら、移動時間も考慮しないとな。不便な雪。
モノクロ景色に影響を受けて、思考が内側に向かう。今日の仕事の段取りの悪さ、気持ちがあっても手をつけられていない課題。そして骨折した母と父のこと。
両親のことは弟夫婦に任せっぱなしだ。私はたまに思いつきのような訪問で、実のない良いとこどりをしている申し訳なさがある。
足を折った母、少しでも楽なようにと、弟は2階からベッドを和室に持ち込んだ。そこで過ごす母と、食事や清拭など身の回りの世話を負担する父。少しでも元気づけたくて今日は炊き込みご飯を準備したのに、届ける時間を取れなかった。もう今日は無理だろう。一人の会議室で、カップに味噌球を溶かし、ちょっと味の薄い山菜ごはんを口に運ぶ。
ふがいない感情を雪に吸い込まれる感覚を味わう。抵抗はあるか? 吸い出してしまいたいものは? 自分を眺めてみる。しんしんと積もる雪を前に、整理しきれない混とんを取り出していく。

試験対策指導が続いている。連日2時間のzoomである。筆記試験も手ごわいが、もっと手ごわいのが実技試験である。特に面接。明確な解は見えにくい。合格率は6.8%の難関である。
試験管の前では、「できる自分」を見せたいし、そうなると面接の相手である「事例相談者」にまっすぐ向き合えなくもなる。前提条件はセルフコントロール。体調や精神的なコンディション管理と緊張感の処理は最初にクリアしておくべき課題。初見の面接相手との相性や戸惑い。事前準備は絶対必要だが、自分が描いたシナリオ通りには進まない。戸惑いはいったん脇に抱え、しっかり自分と戦うことがキモになる。
究極でアドバイスできるのならば、面接官に「自分には力がある」ことを30分で示せばいい。割り切ってしまえば、肩の力が抜けていくが、真摯になればなるほど苦しくなる。
私の役割は、指導者として捉えた課題の共有と気づきの促しである。いつもすべてがうまくいくものでもない。感じたことはうまく伝わったか、受け止めてもらえたか、利器に齟齬はないか。理解してくださったにしても、捉えた感覚は不透明で、自分なりの咀嚼や理解が必要となる。アタマでわかってもそこから先どうするかは相手次第。そもそも、私という人間から指摘されたくないって人もいる。私自身も指導者としての評価を受けながらになるし、お互いが課題を背負ってzoom画面に顔を並べるわけだ。

先日、強い抵抗を受けた。聞いてはいたけれど初めてだったのでびっくりした。
指導に入れなかった。今までの指導、指導者それぞれの癖。正解がわからない不安、自分が確立できないこと、1年前に試験官から言われたことを話してくれた。言葉は段々と感情的になり、泣き出してしまい、最後は一方的にZOOMを切られてしまった。
相手がいない画面を見て呆然とした。びっくりした。びっくりした後もどこが分岐点だったか考えた。どこからずれた? 気に障るようなことを言ってしまった? 頼りない指導者だと評価された? 今まで最後に感謝を伝えられることはあっても、こんな結末、生まれて初めてだ。でも、相手の気持ちを慮ると、痛くて、苦しくて、締め付けられるような思いで泣きたくなった。絶望だ。わかる気がする。いや、わかるどころじゃない。この気持ちは何年か前の私だ。喉元まで上がってきた口惜しさを、辛うじて飲みくだし、吐き出したことはなかったけれど、彼女は今日それを私に向けてぶつけたのだ。飲み下すことなく、素直に出てしまっただけなのだ。

昔の自分と今の自分が重なっていく。ほしいものがすんなり手に入る人は羨ましい。ほしいものはいつだって、ジタバタして、あがいて、のたうって、やっとやっとで落ちてくる。先月いくつかあった着地点だってそうだ。背伸びして、体裁をなんとか形にして、自信も持てずにぶつかって、条件付きの及第点。それだって評価を真っすぐ受け止められず、取り掛かれず無様さを手放せない。
宿題だって手つかずだ。自分で望んだ講義なのにぐずぐずと後回ししている。
後ろの席から聞こえる、
「宿題ぎりぎりまでやらない人いるじゃない?」
「そうそうバタバタする人っているよね」
なんていう会話に耳をそば立て、
「なんだ、私のことか? ディスるなら聞こえないとこでやってくれよ」
と、毒づきたいくせにそんなのバレたくない気持ちがマシマシで、カッコつけて平穏なオスマシ顔を装っている。

力を得たいと望むのは真実だ。でも苦しさからは目をそむけたい。自分が好きじゃなくなる。条件付きの修正も、膨大な課題だって、好き好んで自ら手を出したはずなのに。気が進まない状況は、気が進まないからと先伸ばしにする。丸がつかない自分を何とかしない限り、厄介なこの「ジブンガキライ病」はどこまでも追いかけてきて、肩にかかるずんとした錘になる。

雪である。しんしんと音もたてず静かな窓の外なのである。
天気予報の言う通りなら、明日までにはちゃんと積もってしまうのだろう。どうせなら、そう、どうせなら。静かに時間をかけて積もる雪、いつのまにかに積もる雪、不安も劣等感もジブンガキライ病だって、そんな風に「デキソコナイ」と自己卑下してしまうこの醜さも、全部吸い取ってくださいませよ。
冷えた部屋で、熱湯を注いだばかりの味噌球が、ぬるくなりはじめる。
マイナス感情に蓋をしよう。中から熱が全部出てってしまうじゃないか。ちゃんと、きちんと、あったかいものはあったかいまま残せますように。そしていつかはちゃんと成長できますように。
なにより母の痛みや父の疲れを、そしてついでにこのできそこないモードに陥りそうな私の弱さを、静かな雪よ、全部吸い取って遠くに運んでくれますように。
押し寄せてくる絶望感、もやもやした不安感情は、もしかしたらレンジでチンしたらどうにかできるかも知れん。違うものに変化するかも知れん。そしたらまるごと平らげてやろうじゃないのと考えている。少し味つけの薄い炊き込みご飯に柴漬けを載せ、レンチンするかどうか迷う午後なんである。