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ヒトという資源


人不足である。もう国全体の課題と言い切っていい。


ウチみたいな業界は、「商品=人」である。慢性的に仕入れ薄の状態である。
昔々、(指折り数えれば18年前だ)転籍した当初、最も苦労したのが“働いてくれる方の調達である。過去の派遣登録カードが山のようにあるのに、なのにどうして電話は繋がらない。いざとなると、『ウチの派遣スタッフ』になっても良いよという方がいない。登録に来てくれた時、あんなことこんなこと、あんな希望、そんな目標を教えてくれたじゃない? …ちょっと考えればわかることだけれど、皆さんいち早く職を求めているのだから、すぐ紹介できなくちゃ他所で充足させちゃうのだ。困っていれば複数同時に掛け持ち登録しているだろうし、すぐに良いトコロを準備できなきゃ、ウチでは働いてくれない。当時は、それを理解も納得もできなくて、チマナコになって走り回ったものだった。
ハローワークの求人票はもちろん、料金表を横目に求人広告を出したり(予算がなくて滅多に出せなかったけど)、行政の就職説明会に参加したり、チャンスがありそうな所にはばんばん顔を出した。
いろんなことがあった。リーマンショック、東日本大震災復興支援、就職氷河期世代支援、そしてコロナ禍不況。それでも今が一番厳しい気がする。一昔前の「人が足らない」と、現在の「人が足らない」は意味が違う。昔の「人が足らない」は、ウチで働いてくれる人が見つからなかったのである。今の「人が足りない」は、働いてくれる人の絶対数が足りない。働き手全体が少なくなっている。

働き手不足はどこでも共通らしい。
当然のごとだけど、個人の負荷は重くなる。時間が足りないから残業になる。…流れになるはずが、時間外労働に規制が厳しいから、やり残しを翌日に持ち越すことになる。疲弊するはずだ。エネルギーが足らなくなる。休職者が徐々に出てくる。
最近、転籍当初、弾丸営業で飛び込んだ有名製造工場の部長さんの言葉を思い出す。
「昔は仕事というのは95%で回していたんだ。時代に合わせてこれからどうしていくのか考えるのが5%、余力もあったけれどね。」「それが自社で回せなくなって、おたくら派遣のお世話にならないといけないとはね。」
カウンセラー養成講座では、TVコマーシャルがおちゃめな超有名企業の部長さんと一緒になった。「僕の部署は『再生工場』。休職手前の疲弊した人が集まる部署だから。でもさ、最近休職者が多くて再生できないんだよ。休む人が出ると負担が大きくなるからさ、最近は休む人の『製造工場』になりつつあるよ、歯止めにならないんだ」と、乾いた声で言っていた。大きな会社でもそうなっちゃう人がいるのか。いや、大きな会社だからこそなのか。不調者をフォローしていこうって仕組みがあるのに残念な話だと思いつつも、個人負担が増えればそうならざるを得ない。真理というか、妙に納得した記憶が生々しく残っている。量の不足は疲弊を生む。マンパワー頼みというか、頑張っている人のモチベーション任せ頼みなのは救いがない。
人材不足から働き手不足へ。もう本質的に違っている。『ウチで働こうと思ってくれる人が少ない』のではない。働ける状態の人が明らかに減っている。そしてそれは、地域、業種選ばず、どこもかしこも同じような状態なんである。


何年かぶりに昔なじみの組織に顔を出したる。昔より手狭になっている感じがして、思ったことは口に出てしまう性質なものだから率直に感じたまま言ってしまう。
「別室だった部課が一緒の部屋になって、ぎゅう―っと詰め込まれているんだよ」あらまあ、じゃあ近くなって良いですね。「いやねえ、全体の人数がずいぶん減ったから、それならっていう対策なんだよ」「働き方改革って量より質って話でしょ、だけどさ、絶対量が足りないって言うのに質ばっかり求められてもさ」「翌日持越しが多くなってさ、ただ終わらしていくっていうザマになっちゃって情けないよ」

さてさてこんな状態の働き方改革。そして心理的安全性は両立するのか。
今月のテーマはそこである。耳障りの良い言葉に心惹かれはするけれど、「よっしゃ、ウチも」と乗り出してみても新たなスタートは負担とセットになっている。上司面談の時間をとって、部下の困りごとなど聞き出してみても、そもそもそれを部下がそれを望まなければ、ただでさえ足りない時間が宙に浮く。

それはそうだ。困ったことがはっきり口にできるなら、それは解決のゴールが近いのである。困りごとや改善したいことなんて、そもそも不明瞭だから手に余る。たくさんの課題が日々形を変えながら微増していく。問題を未然に防ごうとしても、それは抽象論相手に戦うようなもので、当然ながら取り組む面子の気力を萎えさせる。配慮を両手に途方に暮れる。まだ明確になっていない困る手前の物事は漠然とし過ぎていて、優しさを前払で受けとめると、なんだか気持ちが重くなる。
人が足らない。配慮したり、配慮されたり、見えない負担が背中にのしかかり、疲れてしまえば人は倒れていく。人間ってほんとうは苦労がある方が元気でいられるのかも知れないなあ。観察や思考のカオスは色の混ざった渦を巻き、単純な人不足、組織内の人間関係の疲弊とは言い切れない何かがうごめいているような気がしてくる。


思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

偉くて優しい人の言葉である。マザーテレサだったかな。人が少なく精一杯な毎日を送る人たちに、抽象を受け容れる余裕があるのだろうか。私なんぞは、なにかしかやらかしてから己を顧みるタチだから、困る前に良いこと言われても。言葉は自分をどこにも運んでくれそうにない気がしてくる。 職業訓練が始まる時期である。傷ついて前の職場を離れた人も多い。
「再生工場」を受け持っていた部長さんの顔を思い出す。せめて、職業訓練は「再生前の充電工場」になるべきだ。ウチで過ごす何カ月間かが、新たなスタートに備えてそれぞれが骨太になれるカタマリを見つけてもらえる場所になれると良い。スキルや資格と共に、強さと明るさを生み出すところになれると良いな。

人手不足と人不足、そしてエネルギーチャージについて、ちょっと考えて見たくなった3月なのである。