スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

5月, 2024の投稿を表示しています

便利な言葉にご用心?

「やばい」という言葉が嫌である。 しかしね、いい年をした大人が、毛嫌いするのは言語道断。 誰に頼まれたわけでもなしに、「やばい」にとことん積極的に関わって、この単語の魅力を考えてみようと思いついたのである。やばいを連発し探求してみることにした。 やばい。やばい、やばーい。よくわからないが、「やばい」と言ってりゃ、コトが足りてしまうみたいなこの感じ。なんだか手っ取り早いこの爽快感。解決なんてしちゃいないのに、とりあえず、面倒なものが横滑りして目の前から去っていく。ちょっと気持ちがいい。 息子の前で「やばい」をつかう。「いい年して下品な言葉は使わない方がいいと思うよ」。「その通り、私もそう思う」。「なら使わないでよ」。 グループワークのシェアで使ってみる。メンバーのうちの何人かが、顔を挙げてぎょっとした目を私に向けてくる。「やばい」という言葉じゃなくて、若くもないのにそれを使う私の品位が非難されている。あらやだ、これってやばくない? 三文字の簡単な単語一つ。感動したり、失敗したり、やらかしちゃったり。ちょっと空気を変えたいんだって時も万能に機能するである。なるほど、こりゃみんな便利に使いたがるわけである。 日常的に軽いコミュニケーションなら十分これでコト足りるのかも知れない。「やっだーあれやばいよね。まじまじ、ほんとヤバい。やっばーい!」これが初見の若い人が、仲良くなれるきっかけにできるのだったら、これはこれでメッケモンのような気もしないでもない。新学期とか、転職した後仲間に入るお昼休みタイムとか、どんな機会が若者にあるのかよくわかりゃしないけれど、まあ標高341Mの大平山の高さくらいの盛り上がりは産むのかも知れない。 便利だなあ、使ってると漠然とした万能感もあるしなあ、わかるわかる。便利、便利、とっても便利。…じゃないのである。なぜだか良くはわからないけれど、「やばい」という言葉、妙にむしゃくしゃしてなんだか許せない気持ちになるのである。 たった3文字で、誰かと諸々を共有したり、複雑な感情を簡単に丸めるなんておかしくないか?安易な言葉のチョイスもそうだが、感情が曖昧なまま置き去りになるのが嫌なのだ。やばさの段階だって、レベル1からレベル10くらいまであるだろうに。希望的な「やばい」から、絶望の色味を帯びた「やばい」だってあるだろうに。だいた