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なっちゃんガーベラ

家人が脳出血で倒れた。


介護認定を受けて、さてリハビリがスタートした。のはずが、デイケアには行きたくないと言い張る。

転んでは歩きにくくなる。転ぶのを怖がる。動けないから一日中横になる。筋力がごっそり落ちる。なのでまた転んでしまう。体力ばかり落ちていく。ますます歩ける距離が短くなる。ケアマネさんの意見も耳に入らない。当然だが、私の声など受け入れない。

「早く終わりにしたい」と家人が言う。「こうなったら生きていても仕方がない」。
なにを言う、早見優(古いギャグでごめんなさい)。あらまあ恥ずかしい。渾身の折角の昭和ギャグが空回る。
今の家人にどうすべきなどという正論は押し付けたくない。このままだとますます衰える。悲観を共有したくもないし、これからのことを固定はするまい。明るさを取り戻そう。そのためには不安げな様子を見せちゃだめだ。普通でいよう。小さくてもいい、兆しの双葉が出たら見過ごさず、これから先の明るい計画を一緒に立てよう。きっとその日は来る。…心に決めても笑い飛ばせない日もある。今は、口から洩れ出そうな暴発を抑え込むだけで精いっぱいだ。
深刻になるのは柄じゃない。優しく接しすぎるのも違う。リビングにベッドを運び込む。今までの生活をひっくり返しながら、なにひとつ変化はないように生活する。

生きる目的を見失うことは酷だ。
考える。少しでも状況が動くよう考える。昨日も一昨日も考えて、今日も明日もその先も、ずっとずっと考えていく。良策が見つかるとは限らない。私は無力だ。並んで眠るリビングで、家人には聞こえないよう息を吐き出す。
歩けないので杖を買う。気づくと、まだ必要じゃないものまで買ってしまう。クローゼットに大きな荷物をそっと隠す。祖母の介護をしていた30年以上昔の絶望に、知らず知らず引き戻されている。

「家族旅行、楽しみだねえ」唯一家人が楽しみにしているであろう予定を、なんとはなし耳に届くようやり過ごす。
子どもたち家族と出掛ける夏の旅が良いきっかけになるよう願う。
3世代、12人の大移動。娘家族と一緒に新幹線に乗り、次男家族は車で合流する。東京にいる長男は、時間をずらしてのんびりグランクラスで来ると言う。
家人の足は、ほんとうに短い距離しか歩けなくなっていて、観光はすべてキャンセルし、途中で車いすとタクシーを手配した。
プールで遊ぶ孫たちをホテルの窓から家人と眺める。子どもたちの体力は驚異的で、プールに飽きると、長男が持参したゲームを堪能する。それに飽きると、ババ抜きやら神経衰弱やらを楽しんで、寝ている家人の周りを走り回る。
眺める家人の表情は穏やかで幸せそうだ。

幸せについての思考がまた回転を始める。お互いが目指す幸せについて思いを馳せる。
今まで通りの毎日が続くこと。どうでもいいような会話、何でもないことに文句を言い、なんてことないことを笑う。大きなことは望まないのに手が届かない。そう今願うのは私だけなのか。途中の砂利道にひとり取り残された気持ちになる。悲観に押しつぶされそうになる。
でも、と押し留まる。子どもたちは予定をやりくりして集ってくれた。それはとても価値あることだと知っているのに素直に呑み込めない。この旅が終われば、また諦めの生活に引き戻される。口にしたらなにかが壊れる。そして大事ななにかが決定的にダメになる。壊してしまうのはきっと私だ。しかし、かろうじて保つ境界線を、自分から踏み外すわけにはいかない。絶望にやられてしまっているのは私自身。弱っているのは私なのだ。たまらずかぶりを振ったところを「ばあば、どうしたの」と孫に声を掛けられる。
この場を満たす思いやり。そこには私への気持ちが十分汲まれている。焦るな。待つんだ。まだ途中。ただの通過点。積み重ねる毎日がきっとなにかを育てるはず。懸命に言い聞かせてみても心許なさに支配される。絶望を意識しているのは私だけではない。ならば、可能性だってあるはずだ。
家人の気持ちが私の気持ちになる。雑音のような会話が、かろうじてお互いの心を細い糸で繋いでいる。受け取ってもらえない思い。そうじゃない、まだ授受の途中。途中の段階。そう、まだ途中。弱音を吐くな、しっかりしろ。強くあれ。止まるんじゃない。前を向いてひたすら歩くしかないじゃないか。


M先生のワークショップで、「どうしたら生きる目的を見つけてくれるでしょう」と問いかける。
人前で、らしくないことをしているなと思いながら、現状を吐露する。「他人の心は変えられません」「あなたが楽しく過ごしている様子を見続けてもらうことですよ」。そうですか、じゃあ今まで通りに過ごします。
N先生のグループワークで、「どうしたら元気になってもらえますか」と質問する。
「他者の心をどうにかしようと思ってはいけません、心はその人のものなのですから」「良くなろうって気持ちが本人に芽生えなければ、あなたにできることはありません」。そうですよね、自明のことを持ち出して、私は焦りが強くなってしまっているのかも知れません。


SOSがあって帰宅する。こめかみが血だらけ、左目が開いていない。左手が腫れ、動かない。なのに通院を断固拒否される。「いい加減にしてよ」責める怒声を引っ込められず、目を背けながら、もっとひどい言葉を投げつけようとするのを必死で抑えた。

知り合いの整形外科に助けを求める。
「救急車呼んだって、本人が乗車拒否したらおしまいよ」と笑われる。「症状は?」と聞かれ、いくつか質問に答えた。「熱が出たり、吐き気が出てきたら何時でもいいから連れてきなさい。手を貸してくれる人いる?」弟がスタンバイしてくれています。「なんとか弟さんから促してもらいなさい。あなたが薦めても意地になるだけだから」。
娘夫婦が来てくれて心強い。1対1で説得できないなら多数決で強行突破である。嫌がる家人を無理やりワンボックスカーに乗せて、3人がかりで救急病院に運び込む。救急の先生は、親身に家人の話を聴き、脳外科外来に繋いでくれた。
「歩け、歩けと妻がうるさい」「だからいつも無理して歩いている」「なのに転んで怒鳴られた」。家人はお医者に訴える。家人は堰を切ったように、お医者に今までのことを話し出した。なんだそれ、まるで鬼嫁の私じゃないか。そう思いつつも、家人の頑張りを聞いて安心する。お医者は家人の話に優しく耳を傾け、私に向き直って言った。「歩けない状態なのに無理させてはダメですよ」「歩くためにはね、歩けるようにしないとね」「まずは体を整えていきましょう」。家人の肩から力が抜けた。久しぶりに目に生気が戻っていく。目の当たりにして、心を配り尊重していたつもりだった自分を思い知らされる。焦りをぶつけていた私を、家人は見透かしていたのだ。
リハビリ診療の何人かの療法士さんが、家人の話をこれまたよく聞いてくださって、治療計画を立ててくれた。外の世界と関わることで、家人の顔色が戻り、良い方に向かう体の変化を言葉にしはじめて、前向きになってくれつつある。

久しぶりに母から電話が来た。
しばらく顔を出さないから、葉書を出そうと思ってたの。
庭にね、花が咲くの。1本ずつ。1本しぼむと次の日に新しい花が咲く。不思議でしょ、いつも1本しか咲かないの。亡くなったおばあちゃんみたいに孤高の一輪。お父さんとね、夏さん(亡くなった祖母の名前)みたいだねって毎日眺めているの。「なっちゃんガ-ベラ」って名前をつけてね。
祖母は弱みや痛みを決して人には見せない人だった。しかし、末期近くの時、一度だけ、ほんとうに一度だけ、孤独の不満を強くぶつけてきたことがあった。気づけなかった祖母の孤独。あの時、私はびっくりしてしまって、その激しい言葉を受け取れきれなかった。
おかあさん、芥子とガーベラそもそも違うよ。芥子は芥子科、ポピーに近いよ。ガーベラはキク科なの。芥子が庭に咲いてたら、警察きちゃうよ。可笑しい。
あらそうなのと母は暢気に笑う。


旦那さん元気? 無理しちゃだめよ。私たちで良ければいつでも手伝うから。なんでもすぐに言ってよね。
そうだね、元気でいなきゃだめだね。なっちゃんガーベラ。1本ずつ咲くんだね。なっちゃんらしいね。
そうだよ、笑ってなくちゃだめよ。

前より今は良い状況。
明日もガーベラは、実家の庭に花を咲かせるのだろう。母が見るガーベラは、きっとおひさまみたいな色だ。真夏の日差しを味方につけて、力強く輝いているだろう。
きっと大丈夫。根拠はないけれど。変わらない状況などない。良い方に流れていくに違いない。柔らかな声を聴いたガーベラが、ひらりと風に揺れる光景が見えた気がした。