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未来の手応え

孫からラインが届いた。
「ばあば、あたらしいくつがほしいの。買ってくれませんか」
「いいですよ」と返事をすると「やったー」「ありがとう」とスタンプで返信がある。今月は孫の誕生日がある。誕生日プレゼントのリクエストなのだろう。 小学3年生になって、孫はバスケットボールのチームに入った。水曜以外の夕方から夜にかけて、土曜日、日曜日はほとんど練習試合か遠征試合。会える時間がだんだん減っている。


さてさて、子どもの靴は一体どこに行けば買えるのだろう。娘に聞けば、「そんなのどこでも売っているでしょう」と返って来る。はてさて、どこに行けばいいんだ? 買い物など大抵通販で済ませてしまう身の上では、郊外型のショッピングモールなど混雑している所に出かけたくはない。
いつもなら高速で出かけるところ、下道でゆっくりドライブする。鬼怒川を渡ると、左手に公園があって、きっと今頃はコスモスが満開だ。目を凝らすと遠くにピンク一面のスペースが見える。

靴を買う。今日は娘がいないので、2人の子守はちょっと荷が重い。ちょっとヒヤヒヤのデパートなんである。足のサイズを図ってもらい、孫は綺麗な紫のグラデーションの靴を選んだ。隣にスケッチャーズのスリップインズが並んでいて、こっちのほうが良いんじゃない? と孫に確認すると、グラデーションの方が欲しいのだそう。下の子は金色と赤色と、どちらにしようか真剣に悩んでいる。時間をかけて迷った果てに赤い靴と決めたので、レジに行こうとすると、「ばあば、やっぱり2足欲しい」と孫が言ってくる。
娘がいると、絶対欲しいものを自分で決めることをしないのに、そんな小さなわがままがとても愛しい。喜び勇んで、お財布のひもを緩める自分がとても可笑しい。

想定していたが、娘にはたっぷりお灸をすえられた。
2足ぐらい良いじゃないか。なにをそんなに怒られなきゃならんのか。孫の顔を見ると、一見しゅんとして見えるけれど、瞳の真ん中はきらきらだ。孫はもう9歳。一体いつまで私とお出かけしてくれるのだろう。どこかの園長先生が言っていたな。乳児の頃は泣きわめき、幼児の頃は手がかかり、小学生で走り回る。年老いてくると子守は辛いけれど、そう言っていられるうちが花ですよ。中学、高校になったら、じいじ、ばあばなど見向きもされなくなるんです。
そうかもしれないな、でもね、それが成長じゃない。あと何年一緒にいられるのだろう。一緒にいるときは楽しく過ごしたいな、できることはやってあげたいしな。
自分の頃の子育てを考える。大変な時は協力を惜しまず世話してくれた両親のことを考える。あの時父と母はいくつだったろう。体力的に随分頑張ってくれたりしたんだろうな。あたりまえのことに今更ながらに思い至る。

孫が大きくなったら、私は誰の役に立てるんだろう。誰かに関わり、少しでも力になれるなら、それはすごく幸せなことなんだ。あと、30年くらいは生きたいな。そしてそれが誰かの心を明るく照らすことができたら尚良いな。
パパとママの言うこと聞くんだよ。パパもママもあなたたちが幸せになることを誰より望んでいるんだから。靴ひもを結びながら、「はあい」と上の空の声が返ってくる。私なんかの言うことを、片耳で聞くくらいなのが幸せな証拠なのだ。


来月には「子育ち支援士養成講座」がはじまる。華やかで底抜けに明るくサービス精神旺盛な女性と、私の2人で講師を務める。子育て中の親御さんや、子どもに関わる支援者の方たちに対して、役立つ講義をしたい。たくさんの暗黙の了解がはびこる息苦しささえ感じる現代に、自律と勇気、希望を自ら見つけられる種まきになる講義をしよう。
村上春樹の『ランゲルハンス島の午後』にでてくる小確幸。小さくても確かな幸せ。日差しの中で気持ち良くはためく洗濯物のような。夏日でも見上げればすっかり空はひつじ雲。もう少し経てば綺麗な夕焼けが来るだろう。のどかな一日。他者となにかを分かち合えることは幸せ以外のなにものでもない。さて、明日も頑張ろう。

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