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春の山

春の山である。ああ、いつのまに。桜色の春の山。

朝、見上げた春の山。通勤途中に春の山。なにか変だぞ春の山。いや違う。桜じゃないや、昨日の雪。雪が山頂に残ってるんだと気づいたのは、お昼を食べた後である。
そう、雪。午後から降り出した静かな雪。穏やかな3月の日差しに溶けて、すっかりアスファルトの上からは姿を消した昨日の雪だったのである。
思い込みって可笑しいな。それって、潜在意識が思いの外、花を待ち望んでるってことなのかしら。梅が綺麗だしなあ、偕楽園行きたいなあ。河津桜、まだだったしなあ。桃って言えば蜜が強くて、滴った枝がいつもテラテラしてたなあ。太平山の玉子焼きと団子が恋しいなあ。そんなこんなのわっさわっさした欲望が、雪をサクラにしちゃったんだわね。苦笑いの原因を作って、ひとり浮かれていた自分が可笑しい。

戦争をしている国のトップと、支援をしている新しいリーダーの対談があった。両者の意見はカメラの前で分断。対話はなぜ分断したのか。戦争している国のトップが訴えているのは、理不尽な現状の理解と公正な立場でのジャッジ。新しいリーダーの発言の意図は、解決への道筋提案。論点が噛み合っていないから対話はおのずと平行線となる。
戦争は憎むべき行為。感情過多の私たちの思いは、平和すぎる所以の夢物語なのか。守るべきものを持つ立場の感情は、悲しみMaxである。

生まれて初めて、「一睡もできない」日に苛まれている。日中に白日夢を見る。うつらうつらしながらもそこにヒントが含まれているような気がして、覚えているうちとったメモ書き。「相撲の絵」「ぱちぱち」。なんだこれは。ヒントなどではない、ただの混乱である。
そう言えば…と底の方から浮かぶ記憶があった。
昔々。まだ母親になって間もない頃。長男の夜泣きに悩まされた。いくらでも眠れるのだけど、世に出てきたばかりの我が子はそれを許してはくれなかった。家事は子どもが寝ているうちに。昼の共寝などダメな母親の象徴のように思い込んでいた。明け方に目覚めたときの記憶。まるで夢の続きの悪夢。母乳を含ませても泣き止まない。おむつは濡れていない。あやそうにも起き上がれない。長男の泣き声は自分を責めたてているように響いた。愛情が足りていない。眠らない長男は、声を上げて母親としての自覚を問い質している。役割と未熟。心が疑心暗鬼という鬼に支配される。過去と未来への不安にのしかかられ、未来を惑わせられる。泣き止まない長男を抱え、泣き止まないことを責め立てる。わかるわけないのに、伝わるわけもないのに。明け方に鬼は現れる。誰も見ていない夜明け前。人としての資格を突きつけられている気がした。

「なんであんなこと思ったのかしらねえ」「明け方はろくなことを考えないよ」現実的に視覚を容易に広げられる太陽の光があれば、容易に自分自身に立ち戻ることができるのに。
気がつけない現状が辛いのではない。混濁した不明瞭に、心を飲み込まれれば、人はどんどんまっすぐでない方に阿多向いていく。過去と未来に目が行き過ぎて、今が見えない。自分が誰なのかを見失ってしまう魔の時。見失ってしまえば、そばにいる誰かの目を直視できなくなる。それは禁足地への入り口である。

お日さまを浴びに行く。禁足地は見た気がするけれど、踏み入らずにすんだ。眠れないのは辛い。これが続けば心の病が近くなる。受講生がベランダで談笑している。目が合えば微笑んでくれる。
友人に会いに行く。談笑した後、段差で躓きそうになる。支えられ、「まったくひどいクマ。弱っちくて可笑しい」と笑い飛ばされる。カオスのような心の中に、なにかがまっすぐ通っていく。「あわてなくていいんじゃない?」そうだよね。今日はそばにいてくれてありがとう。「しばらくだめでも大丈夫、きっと大丈夫にできるから。ドーナツ好きでしょこれ、お土産。おうちで食べてね」
逃げ出したくなっても体力がない。今はこれで十分かもしれない。早く元気になろうと焦ることはないのだ。今はただ、カオスの中で揺れていたい。無理に走り出さなくていい。ほんとの自分などまだ取り戻せない。心のなかに、まだ鬼は住んでいないようだ。それで十分じゃないか。いただいたドーナツをむにむにしながら、ゆっくり帰路に着く。

桜ではなくて雪。山の桜が咲くのはまだ。でもきっともうじき。雪の山にもうすぐ春が来る。今はただ、目をつむって時間が過ぎるのをやり過ごす。小さな柱の元が、心のうちに首を持上げたような気がした夕暮れである。