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1945年7月13日

「宇都宮で大空襲」2025年7月13日 日曜日、下野新聞特別紙面の第一面である。 7月9日、しもつけ21フォーラム例会、若菜社長の挨拶。 “「7月13日は、我が新聞社にとって特別な日。わが社の歴史上、新聞が発行できなかった日は過去2日。その一日が7月13日でした。宇都宮が空襲の火に焼かれた日」 「13日は特別紙面を発行します。昭和20年7月13日当時の写真に、AI処理で色をつけました。毒々しい色合いになったかも知れない。でも、ぜひご覧ください」” カラー写真である。でも、9日の言葉を聞いていなかったら、受け流していたかもしれない。 夜明けが映し出した街。呆然の朝を迎えた人々が見た場景だ。ざらついた空気が肺に送りこまれる感覚がある。裸足に、地面が伝える爆熱の名残。夜中の火の熱、容赦のなさを示す、コンクリート建造物の煤けた外郭。中にあったはずの記者の活動成果、什器、そして人、そこにいた人。そして襲撃前まであったはずの感情、魂。瓦礫。昨日までの景色。損なわれていない情景。被害にあったのは9173戸、亡くなられた方は620人超。 夏の下野新聞は、毎年、戦争の記録を生々しく紡ぐ。 昭和20年7月28日、東北本線小金井駅列車空襲。見下せば、真っすぐ走る線路。パイロットの機銃掃射は、単に余った弾薬を処分しただけかも知れない。空から見れば、視線を遮るものはない。電車は隠れようがない。電車の中にいた人たちにも逃げ場がない。何年も前の記事だけれど、あたかもそれを見知っているかのように、刻まれている。 毎朝、広範囲の情報を命がけで届けた戦時中の新聞。おそらく紙面は戦下情報しかなかったかもしれない。朝に新しく届けられる情報を、人々は待ち望んでいたにちがいない。 戦下をくぐりながら取材し、見出しを考え、より伝わる文章を練って、発行する。毎日命がけで集めた情報が、朝届けられる紙面になる。1日ごと、見て、聞いて、感じて、考えて、無形の情報を、記事に変換した形を与えられたものが記事になる。目の前で起きていることを、市井に伝えるために奔走する。1日はあっという間。それを果たせなかった13日の朝。建物の外郭には、記者たちの魂そのものが立ち尽くしているように見える。 家族の無事、離れている大事な人の無事、食料調達、残酷に直面して耐えている子らの傷。個を犠牲にして、自らの役目を...