卒業式は3月。入学式や入社式は4月。新しい期の切替は4月。それをサクラの花が華やかに見守る。馴染んだ考えではあるんだけど、グローバル的に見れば実は日本特有の文化。欧米だと、期の始まりは9月で夏の終わり。春じゃない。 3月はサヨナラの月。月の終わりに近い日に、突然電話をもらうこともしばしば。 「実は今月で異動なんです」「実は今月末で終わりなんです」。アラアラ大変、ご挨拶に伺いますね、と菓子折り持って足を運ぶ。なんだかね、ちょっと寂しくて、電話するのが遅くなっちゃって。なんだか名残惜しくてね。 急な別れを惜しむなら、日頃からもっとまめに会いに行っていればよかったものを。残念な思いで一杯になる。 急に行ってもナー、先方も忙しいんだろうしナー、など億劫がりにかこつけた自己都合で気を遣い、横着する。その上でのアラアラ大変なのだから、ザラッとした心残りが確かにあるのを噛み締める。 水星人は別れを悲しまない。なぜなら一緒に過ごす時間に、その日、その時を精一杯に過ごすことを尽くすから。後悔を残すことなく、水星人は悔恨なくサヨナラと笑顔で手を振るらしい(村上春樹初期の小説から~タイトル、忘れました)。 水星人に巡り合ったことはないけれど、木星人にも、もちろん火星人にも会ったことはないんだけれど、20代の頃に読んだエピソードはずっと心の芯に残っている。昔々の人びとの人づきあいって、実はこれに近いものではなかったか。時々そう思う。 車も電車もバスだって、もちろんスマホも電話も、メールだってなかったのだから、有事の時にとてもじゃないけど間に合わない。用があったってリアルタイムに繋がれない。急ぎの伝達だって誰か人の足頼みの手段だった。 手紙。紙の色を選んでみたり、字の勢いに心を込めてみたり。花のついた枝に結んでみたり、花言葉をそっと込めたり。今で言うところの絵文字、スタンプ様に文字で伝えきれない思いを託す。心のままに伝えたいと願う切実。都度都度の出会いが今生の別れになっても仕方のない昔びとの付き合い方。受け取った方だってないがしろにできるものではなかったろう。 そんな一期一会と、時に社交辞令という名のパッケージでくるまれちゃいそうな、現代の別れの惜しみ方。昔に比べたら、関わるコミュニティも、出会いの数も、今とはダンチで桁違い。ナニをナニで割り出したら数や割合の...