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まだ若い頃、決まってみる夢があった。目の前は文字だらけである。くすんだ白地のスクリーンに縦書きの文字が流れていく。ひらがななのか漢字なのか見定める余裕もない。ただ、ずっとそれを追っていかなくてはならないのが、私の役目なのだ。意味も理解できず、ただ追い続ける。続けて行けば「よくできました」と、ご褒美がもらえるのだろうか、怠けた場合は罰があるのだろうか、頭の片隅にそんな合理的な自分を感じたまま、目一杯だとは感じるけれど、頭の片隅の私は中途半端な妄想をはじめる。 決して早くはないのだが、定期的なスピードをもって文字は流れていく。意味など考えている暇もなく、迷っている暇もない。一時停止も、老化が始まって、処理能力の落ちたこちらの事情も汲んではくれない。「容赦ないやつだ」とひそかに舌打ちしても、こちらのことなんかお構いなしだ。 『ダンスダンスダンス』※である。考えずに反射で進んでいく。考えたら、決断力の乏しい私のこと、ステップは乱れだし、すべて放り出したくなるかもである。きっと大丈夫、できは良くなくても、きちんと文字をトレースし続ければそんなに大きな間違いはしないだろう。もうこれはほとんど馴れである。 夢から覚めて気づく。生きるって、きっとこういうことかも知れない。ある時期からそんな夢は見なくなった。 ※『ダンスダンスダンス』村上春樹 著

個体のなかの宇宙

月に何人かの方のかカウンセリングを引き受けている。 会社の指示で来室される方が多く、本来のカウンセリングではないので、ほとんどの人が怪訝な顔で来室される。そりゃそうだよな、初めて会ったおばさんに、根掘り葉掘り聞かれ、応えなきゃならないと思ってくるのだ。相手の立場に立ってみたら私だってそうだ。怪訝な顔は当たり前である。 いろいろな人がいる。その人の中にたくさんの宇宙が広がっている。そしてほとんどの方が、その宇宙に目を向けず、目の前の世界と対峙している。 カウンセリングではないけれど、キャリアコンサルティングの際に、「あなたの特性はなんですか?」と伺うと、大抵の人は首をひねる。人に聞いておきながら自分だってそんなことをいきなり聞かれたって面食らってしまう。 「好きなことはなんですか?」、「気分の良い時はどんな時ですか?」これなら私も躊躇なく答えられる。うだうだと意味をつけられない時間を浪費すること、飛行機を見て「鉄の塊が空を飛んでるよ」と、可能性について考えること、ヨガで体を伸ばし、まるでTVで見るようなスタイルの良いモデルさんのような気分に浸ること、好きな音楽を流し、車の中で熱唱すること。 質問について、クライアントは首をひねりながら自分の宇宙に潜っていく、そして質問に対しての答えを、優秀なスキューバダイバーのように、自分の宇宙から見つけてこようとする。その表情がとても好きだ。自分を知ることは実は簡単である。言葉じゃなくても良い。その状態を思い起こしてエピソードまでつけてくださると、クライアントの表情はますますその人らしさを取り戻す。その人の周りの空気が光り出す。 もやもやとしたまま来室される方も多い。どんな人でも光がある。目の前で見ているとその光がとても輝いて見える。けれどもクライアントは自分では気づかない。その光を信じて一歩踏み出してほしいなと思う。きっとうまくいく、それを阻むのは恐れる心だ。一度チャレンジしてだめなら、大丈夫になる時を待てばよい。ずっとだめなら、気晴らししながら分水嶺を待てばよい。きっと大丈夫、まっすぐ進もう。その光を「自信」というのだ。

秋空

良い天気だ。ソーダ色の空、秋雲のグラデーション。初秋の空は秀逸だ。明け方の良くない夢も、空を見上げれば、今日という1日が悪くない日だと信じることができる。 雲の形と、白の濃度からたくさんのことを妄想する。空のてっぺんから、目に入る地平を眺めて、地球の丸さを確認する。 未来を描く映画では、空気が汚染され地下に潜って生活し、澄んだ空気に感動する場面などが出てくる。タイムワープをして現代に降り立った登場人物のように、深呼吸をする。 「綺麗な空だ、空気が澄んでいる、世界は素敵だ」と言ってみると、そばにいた人が怪訝な顔をする。 手を上げて背筋を引っ張り上げ大きく伸びをする。身長155センチの私が、160センチくらいになれるみたいに。 明け方に見た良くない夢を頭から振り払う。忙しくても、多少頭痛がしていても、「大丈夫、今日も良い日」と自分に言い聞かせて足を踏み出す。 さあ、今日も1日がはじまる。空はみんなの味方、私も大丈夫。今日も1日できる限りのことをしよう。会社も受講生も先生もスタッフも、父も母も誰か知らないみんなも、澄んだ空みたいな良い1日となりますように。