スキップしてメイン コンテンツに移動

春を連れてくるのは佐保姫。


霞の衣は春の季語、山が霞むのは落葉樹の息吹のせい。
なんだけど、その様は山が膨らんでいるようで、待ち望んだ春をすごく喜んでいるようでいるような様が「山笑う」季語になったのかも知れない。
佐野洋子が書いている文章がある。
“「ここの春はいっぺんにやって来る」”
“「山が笑いをこらえている様に少しずつふくらんで来て、(中略)色が山一面にばらまいた様に現れる。くそ面白くもない毎日をすごしている私は、いとも軽薄に、腹の底から踊り狂う様に嬉しくなる」”
(佐野洋子 著『神も仏もありませぬ』筑摩書房)

朝の雲はドラスティックである。
濃ゆい白と暗い層。厚みのある層は、大きく帯になって西から東へと移動していく。もしかしたら逆かも知れない。東から西に移動していく。そこに朝日。怖いもんなんてなにひとつありゃしないわよってな感じで朝日。堂々たる大物大君の登場である。
気まぐれに古米を庭に撒いている。寝坊したら気が付けないけれど、朝は鳥の声が転がる。朝の鳥は働き者である。でもうちの庭には降りて来てくれない。この状況って、働く気はあるのにどこにも巡り合えない、誰にも見つけてもらえない心許なさに繋がる。切ないこと言っているんだけど、あまりに朝が新しいから、心許なさは少し心を掠るくらいで、空気にすぐに溶けていってしまう。朝は良いよな、日曜の朝は特に。


家族がある程度意思疎通ができていると、母と娘は仲が良いとなりそうだけれど、そうでもない組み合わせもある。
兄弟に優劣をつけた覚えはないが、どうにも娘とはうまく話せないことが多い。2人で食事に行ったり、買い物に行ったこともほぼない。記憶にあるのは娘の就職。スーツと靴、それからバッグ。閉店間際に駆け込んで、それら全部を1時間かけずに買いそろえた。友人に言ったら、「それは買い物ではなく調達」と言われた。
仕事中に、学校に行っている娘から電話がかかってきたことがある。手短に答えた私の脇で、部下が「私が娘さんだったらまちがいなくグレてますね」と言われた。
「事務的すぎやしませんか?」
結婚式の親への手紙では「私は母が嫌いでした」と堂々と宣言され、初孫の出産も娘は実家ではなく嫁いだ先に里帰りした。「お母さんに私の面倒は見られない」と言い放たれた。まあね、あちらの親と仲が良いのは良いことである。私のことが好きとか嫌いとか、娘の問題であって私が対処できるものでもない。仕方ないことは世の中にたくさんある。
娘と話したくても、彼女の好む話題を私は持っていない。娘が話したいことに、どうも私はうまく応答できない。娘が楽しそうならそれでいいとしか感じてこなかった。私が楽しさを提供しようと、あまり思ったこともなかったのかもしれない。嫁ぎ先のお母様を得て、娘は楽しそうだった。娘の家に行ったとき、あちらのお母様がいて3人で過ごしたものの、娘が私に話しかけることはなかった。2人ともべったりととても仲がよさそうだった。大切にしてくれるのを見て嬉しかった。娘の幸せを支えてくれると思うと、とても嬉しかった。


月日の経つのは早い。
いつしか娘とはまめに電話するようになった。電話をかけると、娘はいつも「なんか用?」と出る。「用がなきゃかけちゃいかんのか」と、私も口悪く返してしまう。用のない電話なんて、思春期、友だち、結婚前の恋愛みたいな時代感。しかし、なんとなく口寂しくて、考えなしにかけられるのは、結構な進化だとも思う。
母歴10年を迎えた娘も、私に相談を持ち掛けるようになった。気安く手伝いを頼むようになった。私もそう。娘に相談するようになった。家人のこと、娘を含んだ子どもたちとの調整のこと、旅行先や連絡調整など。仲良し母娘など縁がなかった。しっかりしてほしい気持ちが勝って、仲良く過ごした記憶をきっと娘は持っていない。顔を見れば、説教していた。一緒にいると注意ばかりしていた。反発した娘は、私と性格も好みも真逆になって、母娘らしさはあまりない。けれど、ふと見せる表情、仕草に、とてもよく似るものだと驚く瞬間もある。
娘の母だった私は、生産性のない時間と無意味を嫌った。娘はそういう私を受け入れなかった。娘が求めたのはもっと違うことだった。知っていたけど与えなかった。若かったな。気負っていたのは私だったのだ。

娘に電話する。
用もないのに。思い付きで。
「なに」いつものぶっきらぼうである。「なあに」と言わず「なに」と言う。仕方がない。私の娘だ。つらつらと何でもないことを話をし、そろそろ切ろうと思ったら、浮かんだ言葉が不意に零れた。
「みんなやさしいね」
「…今さら?!」「気づいてなかったの?」
「うん、考えたことなかった」
「ずっとやさしいじゃん、ずっとそうしてきたじゃん」
「じゃんじゃん言うなよ、下品だな」
「ひとりで走ってるからわかんないんだよ」
望みを口にすれば動いてくれる人がいる。許してくれる人がいる。知ってはいたけど気づかなかった。足を止めて、手を膝の上に置いて、ぼーっとする。
ひとりで走っているか。そうだ、いつも私は置いてきぼりだ。子どもたちの方が、いつも私の前と先を考えている。ずっとやさしいじゃん、か。そうだ、ふつうにしているのがやっとやっとで、30センチ先くらいしか見つめることができなかった。
足りない自分、果たせない自分、しばらく無力な自分でいてみるか。役に立たなきゃ、価値は自分で作らなきゃって思っていた。
足りない自分でいると、周囲が思いやりのオーラで包まれていることがわかる。花桃が咲き出した。木蓮もそろそろ終わりみたいだ。春の花は鮮やかだ。桜のあと、5月になればあやめが咲いて水辺を彩り、紫陽花は梅雨空のしずくを味方にして輝くだろう。


ふたたび佐野洋子、さっきの続き。
“「私が死んでも、もやっている様な春の山はそのままむくむくと笑い続け、こぶしも桜も咲き続けると思うと無念である」”
(佐野洋子 著『神も仏もありませぬ』筑摩書房)

無念だよな。山を見て、正体不明の靄みたいな、ゆるやかな繭のような中にいて。この靄のようなときめきは、季節が廻るたびむくむくと顕れる。けれど春を待たなくても、ほんとはいつだって、優しさはそばにある。気づけたなら、そのまま繭に包まれることだってできるのだ。受け取れるもの。掌に包んでおけるもの。手放したくない靄と繭。けれどそれに甘んじてはいけない。長生きしたい、感じていたい、繋がっていたい。だんだん欲深になって、ずるずるとだらしなくなっちゃいそうなんである。
おなかすいたな。今日は簡単にお蕎麦ゆでて、娘が好きなエビとじゃがいものかき揚げで、夕食としよう。